今日は好日
2022年 8月13日 へうげもの
ひょうげものとは織部焼のことをさす言葉だそうだ。今朝見た美の壺というTV番組で知ったのだが、私はこの番組が大好きだ。
この番組を視るまで織部焼に対する私の印象は、歪な形とのびのびとした絵付け、そして緑とオフホワイトのコントラストが浮かんでくる。
さて、形の自由を追求しているような焼き物に、陶芸家はこの焼き物でもっとも重要なのは型だ、と言って様々な型を見せてくれた。確かに陶器は使ってこその美がある、一点物の高価な器ではそうはいかない。そのためには大量生産やむなしなのかと思いながら、陶工の様子を見ていると、型から粘土を取り外すときは全く無造作に行われていた、その為折角型を使って成形したにもかかわらず、その形は様々で、はたして型を使った意味があったのかと思いたくなるほどだ。
ところで、自由な形を追い求めているようにも見える織部焼が、実は型を重要視しているという話を聞いて、私は以前向井禅師から伺った「仏の方に投げ入れて」という言葉を思い出していた。私の解釈だが作為を手放すという教えではないかと思う。そう思うと織部焼の美しさの神髄はここにあるのではないだろうか。ということは、美とは自分で何物かを創り出すということよりも、無為自然の中にすでに存在しているものを、ただ素直に受け止めるだけのことなのかもしれない。やっぱり今日はお盆だけあって、どうあっても南無阿弥陀仏の世界と結びたい。
などと言いながら頭に浮かんでいるのは織部焼に載せられた、サンマの塩焼きだった。これぞ用の美。
暑いのに友蔵さんは今日も絶好調。 「ひょうげもの サンマの焦げに 秋薫る」