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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 8月29日 さざれ石

今朝は結び大学の「君が代」と題するYouTube動画を視聴させていただいた。その中で小名木教授の君という言葉の解釈は、まさに日本の在り方を象徴する解釈だと感銘を受けている。さて君が代に歌われるさざれ石についてだが、私は昔から、ある違和感を持っていた。私はそのことを先ほどの動画を見ながら思い返していた。

ちなみにさざれ石と言えばもちろん日本の国歌「君が代」に出て来る石のことだが、私は実物を目にするまでどれほど立派な石なのだろうと勝手に想像していた。ある日、近所の神社にさざれ石の立て札が立っていて、その石を見て、私はあっけにとられた。なにせ、立て札の横に鎮座していたのは、どぶ浚いで漉くい揚げられた堆積物のようでどう見ても美しい石とは言い難いものだったからだ。

巷には「あばたもえくぼ」という表現があるが、様々な形の小石が岩の表面を覆ている様は、特別な思い入れでも無い限り、受け入れるられるものではない。本当はもっと立派な姿のさざれ石が世の中にはあって、歌はその特別な石の印象に違いないと思ったのだ。私は歌の元となった石の写真を見たが、確かにサイズは大きく立派ではあるが、私の印象を覆すものではなかった。一体何故このお萩餅のような石が天皇を讃える歌となったのか、今朝の動画ではその歴史は古く天皇の末永い繁栄を願う歌として古今集に編纂されたと言っていた。

ところがこの歌を大衆が結婚式などでも使い始めたことによって、歌詞が変えられ主語があいまいになっていったらしいのだ。にもかかわらず、そのことについて天皇は大衆を咎めようとはしなかったらしい。国によっては衣装の色や絵付けの図柄にも厳しく一線を引くことが権力者の常識のはずだが、この緩さはどうゆうことなのか、私はそこにさざれ石が象徴する日本的な考えがあると思っている。

まずはさざれ石の形状を思い起こしていただきたい。様々な大きさの、様々な形を持った小石がそれぞれの形をとどめたまま、寄り集まって大きな岩を形作っている。これを人間に当てはめると様々の個性が、自分本来の個性を保ちつつ寄り集まって日本という社会を形成していると捉えることは出来ないだろうか。古今集の編纂からは1300年近くの時間が経過しているのだろうが、もともと天皇とはそのような雑多な個性を結集しながらも維持していくべき存在と受け止められていたのではないだろうか。

このように考えると現在天皇が全体主義の象徴のように捉えられることはとても残念なことだ、世界的にも人類の行く先が不安視される現代において、しっかりした歴史教育によって正しい本来の天皇像を伝えていくことが、現代の人間が担った責任ではないだろうか。それぞれの立場や生まれ持った個性を尊重して生きることこそ、さざれ石に象徴される日本の心である。