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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 8月31日 人生その場限り

往年のコメディアン植木等さんのセリフではない。私が無責任に思いついた言葉だ。

時代劇を見ていると剣豪が山にこもり座禅を組む姿に出くわす。座禅とは禅僧の行う修行のはずだが、刀で命のやり取りをする武士が、なぜ殺生を戒められている僧と同じ行をするのだろうかという疑問が湧いてくる。

いきなり何故そのようなことを考えたかというと、これも前回に引き続き「日本をかっこよく」という例の動画を視聴したためだ。今回は北辰一刀流7代目宗家椎名市衛氏のお話から来ている。大変面白い内容で私は3回続けざまに視聴してしまった。

そのなかでも、武士の生き方について考えさせられることがあった。武士については新渡戸稲造氏の「武士道」やルースベネディクト氏による「菊と刀」など世界的にも優れた著書ですでに紹介されている処だが、やはり日本人が自分の命を紙屑のようにあっさりと手放してしまうことには理解しがたい違和感を感じるのだと思う。

話を座禅に戻すと、武術の極意に施無畏という言葉があるそうだ、施無畏とは阿弥陀様が右手をかざしているその姿だ。恐れを取り除くことを表しているらしいのだが、ここでいうおそれとは、迷いのことをさしているのではないかと思う、心が定まらなければ必然的に体の動きも定まらず、武術に必要な瞬間の正確な挙動がとれないのだそうだ。

 

ところで私たちがこの世で最も恐れることの一つが命を失うことの恐れではないだろうか、つまり武術の世界では自分の命を失う恐れは、実際に命を失うことに直結してしまうのだ。このようなことを意識しながら鍛錬を続けていくと、やはり命とは何かという問いに行き着く、そしてそのことをリアルに体験できるのが座禅の世界なのではないだろうか。座禅の世界は今この瞬間にすべてが存在していることを体感することだ。しかもそこには自他の区別さえない世界なのだ。

つまり「はい、それまぁーでぇーよ」の世界だ。