今日は好日
2022年 10月17日 あこがれ
展覧会などでよい作品に出合うと、感激とともに自分はどうなのかと内心穏やかでないことがある。うらやましいと思う気持ちや嫉妬心というものだ。それは、立派な志というよりは、あまり公言したくないみじめな感情なのだ。その思いは自分の拙さを認めることから湧いてくる。逆に考えれば謙虚さとはこのような心理が根底に潜んでいるのかもしれない。
私はこんな恥ずかしい自分の思いにも目を向けることが自分と向き合うことだと思っている。極論すればこの恥ずかしい感情の表出こそ、我々が体験する現実という物語の動機ではないかと思うからだ。
さて、今朝はカナ文字の練習が急にしたくなった、選んだ手本は一条摂政集で西行の写本だ。西行といえば松尾芭蕉も憧れた歌人で、その書は平安朝最高の仮名と言われる。ところが、出家に際しては4つになる自分の子を縁側から蹴落としたといわれるほど、禅道に対し壮絶な覚悟で臨まれていた。その覚悟は「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」という歌に詠まれている。
では、そんな西行が書き写した歌の内容といえば、「袖で人目を隠すけれども涙がこぼれてくるほど貴女がこいしい。この歌に対して女性が返した答えは、あなたは袖で涙を隠すというが私は、その涙さへ涸れ果ててしまいました。」という内容で西行の残した禅に対する逸話と比べるとそのギャップに驚く。
それにしても人の心の所在なさは今も昔も変わらないものなのか、ある時は高貴で雅である、またある時は悍ましくも愚かだ。にもかかわらず日本人はその思いを身分に分け隔てなく、しかも包み隠さず歌に刻んできた。
人々の思い、これが宝だと日本の歴史は、現代の我々に伝えているようだ。
そんな思いを我が友蔵氏はさっそく歌に詠んでくれた。
「月ながむ 思いに遠し 我筆跡」