今日は好日
2021年 9月19日 与えることをしない生き方
世の中ギブアンドテイクだと言われますが、受けることに徹した生き方が有ります。乞食かといえば乞食が自分から望んでそうしているのかどうかによって括りが違ってきます。私がこのように思う生き方は出家者の生き方です。すぐに思い浮かぶイメージが托鉢のため家を一軒、一軒廻る雲水のイメージですがこの行為は日本の寺に限らずタイなどの小乗仏教と言われる原初の姿を踏襲するところでも見られることからお釈迦様の時代には同じようなスタイルで修行されていたのだと思います。
ここで、私が思ったのは、何故ここまで受けることにこだわって生きるのかということです。私の記憶では、あえて世間に施しをさせることによって世の中に功徳を与えているのだということ、つまり出家者が仏教を学ぶことが世間に功徳を与えているという考えです。または自己所有物をすべて廃して我欲を断つための生き方だということです。ここまではよく言われてきたことではないかと思います。
私はここにもっと積極的な意味が有るのではないかと考えました。それは愛の創造者ということです。与えることを戒め、受けることに徹して生きるつまり感謝するという思いに集中して生きることです。与えることが出家の目的であれば出家者は世間が望む食扶持を必死で生産してきたに違いありません。ところが寺に畑を作ったにしても与えるためのものではありません。そのあまりの徹底ぶりに、私はむしろ与えることを戒めているのではないかと思ってしまいます。
このように愛を想像することに集中できる環境を整え、暮らす姿に生きることの価値を置いていたのではないかと思います。そのように考えると私の思い違いかもしれませんがよく聞く言葉に慈愛という言葉が有ります。慈愛の滋は慈しむという字で立場が弱いものを思いやる心です。私たちは目の前で起こる出来事に日々心を動かされています。そこに慈しみの心を感じることが出来れば、ただただ感謝しかおこりません。