今日は好日
2022年 1月25日 死後の世界はどうなってますか?
皆さん興味ないですか、私の子供の頃はつのだじろうさんや楳図かずおさんが漫画でいろいろ教えてくれました。テレビでも心霊写真や怪談の特集が組まれたり結構な人気だったと思います。
しかも、お盆の時などにお寺参りをすると地獄絵図なんか飾ってあって、見るのも恐ろしい世界ですよね。でそんなお寺のお坊さんに死んだらこんな世界に行くんですかって質問したら「死んだことが無いのでわかんない」って答えが返ってきました。何か拍子抜けするような答えで、がっかりしたおぼえがあります。
これは子供とお坊さんのたわいないやり取りですが、修行僧の世界はこんなのんびりした世界ではないようです。
ところで無位の真人という言葉からうっかり臨済禅師と検索して驚きました。周りに人がいる環境でしたが、何気なく臨済禅師が悟りを得た時の逸話に出会い、おもわず声に出して笑いこける処でした、何とかその場はごまかしましたが、今でも思い出すたびに笑いが込み上げてきます。
今から1000年以上、前に中国で禅宗の原型が出来上がります。それこそ達磨さんから繋がる臨済宗という宗派の開祖のお話なんですが、臨済禅師が禅を学ぶため黄檗という禅老師の元で修行をされていた時のこと、兄弟子から黄檗老師に直接「仏性には果てがあるのか」を聞いてくるよう言われます。
臨済がこの通り黄檗老師に問うと、いきなり30回も叩かれました。戻って兄弟子に報告したところ再度聞いてくるように言われます。ところが先ほどと同じように叩かれ、3度続けても同じことでした。臨済は空しくなり思い余って寺を出ることを老師に告げるのですが、寺を出ることは許されませんでした。
その時、黄檗老師は大愚という高僧にこのことについて教えを乞うよう告げられます。臨済はその通り大愚禅師に会い教えを請います。大愚禅師は「手取り足取り子供のようにお前の世話をやいてくれる」と黄檗禅師の労をねぎらうのですが、この時臨済に悟りが訪れます。
「なんだそんなことか」と臨済が呟いたところ、大愚禅師は激怒し臨済に詰め寄ります。「この小便たれが何を悟ったか言ってみろ」そのとたん臨済がの大愚の脇腹を3発殴ったと言います。で、大愚禅師はそれを良しとしました。
そしてそのことを黄檗禅師に報告したところ「もう一度大愚禅師に聞いてこい」と言われたそうです。それを聞いた臨済は黄檗老師のほほをその場で平手打ちにしたところ黄檗禅師は「この気狂いめ」と言いながら臨済の悟りを認めてくれたそうです。何の事かと思いますが私には仏性の果ては自分の認識にあるということのように感じます。黄檗禅師はそのことを30回も臨済を叩きながら教えていたのではないでしょうか。
なのでその答えを臨済禅師は大愚禅師にその通り答えました。己の認識が存在のすべてであって、そこに臨済は居ません。