独立自尊 奥の細道
風流の初めや奥の田植えうた
皆さんは風流という言葉を聞くとどの様なイメージが浮かびますか、私はこの記事を書くまでは芭蕉の俳句がイメージに浮かんでいました。風流といえば芭蕉の句が表すような詫びた風景や四季の移ろい、または漂泊の旅をしみじみ味わうイメージです。
ということで私はすでにここから間違っていたようです。改めて調べてみると風流とは雅な様子を指すそうで、日常とは違った華やかな様子を言うそうです。
ということは、ここに取り上げられた田植えうたとは労働の間、鼻歌交じりの田植えうたが聞こえているという解釈にならないようです。
ところで、ここまで田植えの光景が盛り込まれている俳句が3回続いています。しかもただの田植えの光景ではなく田植え祭りの光景です。
では一体何故こんなに田植え祭りが続くのでしょうか、芭蕉の旅は深川から平泉にかけ奥州街道を北上します。そして田植え祭りもまた北へ向かって行われていきます。そもそも田植え祭りは地域の神事で地域で選ばれた早乙女たちが改まった衣装で神楽に合わせ、苗を植えていくお祭りなのですが、どのように田植えうたが歌われるのか気になり、祭りの動画を見てみると田植うたを歌いながらの田植えはかなり難しそうです。
たいがい歌い手とお囃子は田には入らないで歌われています。ということは田植えをするたびに誰でも自然に田植えうたを口ずさむようなものでは無いように感じました。つまり、田植えうたが聞こえるというのは日常からではなく田植え祭りのことを指しているということです。
ここで、この句の私の勝手な解釈ですが、冒頭風流について述べましたが、要するに風流は芸能を指す言葉でもあるということです。つまり能楽や猿楽など歌や舞踊に関する芸能は田楽という稲の豊穣を祈るお祭りから始まっているということなんです。そのことを芭蕉はあちこちで目にする田植え祭りに思いを重ねて芸能の始まりは、奥州田植え祭りからではないかと俳諧師としての思いを語ったのではないでしょうか。
さて、田植え祭りですが地域の田植えは、この日で終わるようにと決められているそうです。つまり田植え祭りは、地域の田植えが無事済んだことを祝う行事でもあるようなのですが、だとすると祭りは桜前線のように北上することも頷けます。
ここまで芭蕉一行は、白河の関から須賀川という宿場街にたどり着くのですが、この町は俳句への関心も高く、そこを仕切る駅長の歓待を受け、旅への不安もずいぶん和らぐのですが、此の俳句からも芭蕉のこの街に対するワクワク感が伝わってきます。