独立自尊 奥の細道
笠島はいづこ五月のぬかり道
さて何の事やら、五月のぬかり道とは、おそらく五月雨で道がぬかるんでいる様子だと思います。旧暦で考えるとそろそろ梅雨の季節です。挿絵は月明りのように書きましたが、私の読み違いです、没にしようと思いましたが、これも幻想的でいいなと思い掲載しました。
ところで「笠島って何」ということなんですが藤中将実方を指すそうです。笠島とは地名で宮城県名取市あたりを言うそうですが、そこに居た、とうの中将さねかたさんのことだそうです。いつの時代の人かといえば平安中期清少納言の活躍した時代、紫式部が源氏物語を書いて話題沸騰、源氏物語の人気は今でも世界的に人気になっています。その世界的人気の光源氏のモデルになったのがこの方のようです。つまり容姿端麗、才色兼備のやんごとなきお方が笠島と呼び捨てにされた方のようです。
ところで、何故、芭蕉が笠島の史跡を尋ねたのか、句にもあるように雨模様のぬかるんだ道をどこだ何処だとさがし廻っているようなのですが、これほど心細い思いをしながら藤中将実方の史跡を訪ねたのはなぜでしょう。芭蕉はいにしえの有名な歌人として尊敬していたのでしょうか、私には分かりません。
ただ、奥の細道序文に登場する西行法師もこの史跡を訪ねているようです。
そこで西行が詠んだ歌が 「朽ちもせぬその名ばかりを留めおきて、枯野のススキ形見にぞ見る」です。また、藤原氏に関わる重要人物とも言えます。
この奥の細道の動機となる人物が、西行法師、藤原氏に庇護された義経だと思っています。特に義経に関しては、奥の細道の結びまで関わっていると思っています。