独立自尊 奥の細道
奥の細道 最高傑作「夏草や兵どもが夢の跡」
私は以前修学旅行でこの地を訪れた記憶がありますが、残念ながら当時のことははっきりとは思い出せずにいます、遠い記憶を辿れば北上川と田んぼの風景が広がっていて、恐らく芭蕉が観た景色とあまり違いは無いと思います。それというのも芭蕉が訪れた時代も、かつての城跡や栄華を誇った平泉の様子は想像の世界でしか目にすることは出来なかったはずです。
つまり兵どもがいた世界とはすでに500年も後のことです。
ということは、当時も漢詩の春望を思わせるような荒涼とした世界とは違い、北上川の雄大な流れと田植えの終わった田んぼが日の光に照らされてキラキラ輝いていた景色を目の当たりにしていたのかもしれません。
ところで、そんなのどかな風景を目にして芭蕉は時を忘れ涙を流します。傘を外して涙にくれたそうなのでこの時、余程感情が高ぶったのではないでしょうか。
そんな高館という史跡についてですが、その昔、藤原秀衡の築いた山城で義経が最後に立てこもった城がありました。芭蕉はこの城跡を訪れ軍師のような目線でこの城を讃えています。それほど地の利を生かし実戦的な要塞で、単に丘の上に城を築いたというものではありません。城とは戦力差のある敵を迎え撃ち、撃退する役目があります。なので、敵には見えづらい場所から容易に攻撃が出来るようその地形を最大限に利用するのが日本の城です。門や城壁を破られればお終いという作りではありません。
義経はこの城に篭り、頼朝の出方を伺います。高館は義経にとって人生で最も目を掛けてくれた恩人、藤原秀衡の城です。もし、藤原一族が団結して義経方についた場合は頼朝と一戦交える覚悟だったかもしれません。ところが残念なことに泰衡の裏切りに会います。
このことを知った義経は自分の手で妻子をあやめ自害してしまいます。確かに義経軍は10騎、相手は500騎とそうとうな戦力差はありますが、難攻不落の要塞に篭り10人と言えどもツワモノぞろい、しかも軍略にたけた義経が500騎ごときで押しかけても力負けするはずもありません。ところがこのような残念な裏切りにあっても、義理に厚い義経にとって恩人の子息に刃を向けることは出来なかったのです。
このことを知って義経に従う郎党は弁慶の立ち往生のごとく皆あっけなく討ち死にします。この時点で義経は責め立てる泰衡の行く末も分かっていたのではないかと思います。このような思いを感じて芭蕉は感極まって泣き崩れたのではないでしょうか。