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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

閑かさや岩にしみいる蝉の声

この句は山形県の立石寺を訪れた際出来た句です。大変有名な句ですが、この句だけでこの句を味わいきるのは少々もったいないことだと思い。投稿の前に注釈を入れました。余計なことをするなと思われるかもしれませんが、この投稿の目的は奥の細道を味わうことではありません。あくまでも奥の細道について私がこう感じた、こう思っているということを記事にしています。なので、くれぐれも試験などの参考にされると、とんでもないことになりますのでご注意ください。

そもそも、奥の細道序文からも言えることですが、芭蕉はこの旅を西行法師の生き方と重ね、旅で死す覚悟をもって奥の細道の旅を始めました。それがどれほどの覚悟かといえば、自分の住まいを売り払い、片道切符での覚悟です。すべては、自分の目指す句の世界を命を懸けて完成しようという思いではないでしょうか。

前回まで義経の足跡をたどるように奥の細道は進んできました。途中松島によって観光したようですが、奥の細道に句は残していません。中国の故事に倣ったという解釈もあるようですが、単なる名所めぐりの紀行文であれば、このようなことは起こりえないと思うので、これは芭蕉に何等かの思いがあって掲載しなかったと解釈しています。

ではこの立石寺と義経のつながりとは、よくわかりませんでしたが、寺の創建にあたっては清和天皇からの勅命があったそうです。清和天皇とは清和源氏の流れをつくる方です。

さてこの立石寺を訪れた芭蕉は、同伴した曾良の手記によると参道を登りきる途中、この句を作ったそうですが、蝉が鳴いている様が何故静かなのでしょうか。また岩にしみいるとはどのようなことなのでしょうか。

芭蕉はこれまで句の中に様々な対比などを使い壮大な世界を展開させてきました。

この句にも蝉の声と静かさのように相いれないものを対比させていますが、普通の人にとってこの表現は簡単には受け入れることは出来ないと思います。では芭蕉は何故平気でこのような句を作ることが出来たのか。

それは、芭蕉が普通の人では無かったからにほかなりません。つまり芭蕉は禅僧から悟った人ということを認められた覚者です。このような世界観は、覚者の視点からでなければ容易に説明が付きません。

では、この句を詠んだ時の芭蕉はどのような思いだったのか勝手に想像してみます。

まずは、悟りを得た人とはどのような認識を持つ人なのでしょうか、それは無我の境地に至った人なのですが、このように書くと目の前から人が消えてしまうように思われるかもしれませんが、要するに自他の仕切りが無いことに気づいたということです。

私たちは目に見える形から個別の物体があるという認識に囚われてしまいます。ところがそんなものは存在しないという観点から物事を観ている人にとっては、岩も蝉の声も個別に存在するものではありません。この句を詠んだ時の芭蕉とは天地一杯の存在であって、蝉であり岩でありカエルであり天そのものです。なので宇宙の果てから蝉の声を聴こうとしても静寂の世界がただ存在しているだけです。

そのようなことから、いくら周りでシンシンと蝉が鳴いていても芭蕉の心はすでに寂然不動の世界に居るということです。ところでこのような思いは仏頂禅師の庵を尋ねられた時の句にも本質は同じ思いを感じました。木啄も 庵は破らず 夏木立