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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

荒海や佐渡に横たう天の川

この句は雄大な景色が目に浮かぶようで私の大好きな句の一つです。

ところで、この句が詠まれたとされる新潟県出雲崎へ芭蕉一行が到着したのは7月の4日でその日は雨の天気だったようです。句の内容は荒ぶる日本海にかすかに見える佐渡島、澄み渡る夜空に横たわるように天の川が掛かっているという幻想的な宇宙ファンタジーを感じさせます。

この句も荒ぶる日本海を目の当たりにして感動に浸る芭蕉を思い浮かべますが、実はこの句も芭蕉の完璧な創作です。まずは7月の日本海ですが、この時期の海の様子はすこぶる穏やかです。また天の川の表現にしても、曾良の日記によると雨の天気が続いて星空を見るのは困難だったと思います。もし僅かでも見る機会があったとしても、この時期の天の川は南側に向かって垂直に現れますので、天気が良かったにせよ天の川が佐渡に向かって横たわるように見えることはないようです。

それでは芭蕉は何故、見えてもいない荒ぶる海や天の川が、佐渡に横たわっているようだと詠んだのでしょうか。

ここから私の全く勝手な解釈が始まります。

私はこの句にも芭蕉の義経にたいする強い思いを感じています。その理由はこの句を詠まれたとされる新潟県の出雲崎と言う場所にあります。この場所は義経記によると直江津から舟に乗った義経一行が寺泊町、今の長岡市にたどり着いたとされていますが、出雲崎町も同じ長岡市にあります。

義経一行はこの時、佐渡を目指したともいわれますが、嵐に遭遇します。その結果実際に上陸できたのは長岡市の寺泊町だそうです。つまり逃避行を続ける義経と芭蕉が句を詠んだ出雲崎という場所には深い関係があるということになります。

ということは「蚤虱馬の尿する枕もと」の歌であったように、この句に詠まれた景色を実際に芭蕉は体験してはいないが、どうしてもこの場所で、この句を詠んだことにしたかったという芭蕉の思いが伝わってきます。

このようなことを前提にこの句を読み返すと、この句にある景色を体験したのは、芭蕉ではなく義経ではなかったのかと推察されます。

つまり、芭蕉が逃避行中の義経に成り代わり、そのつもりでこの句を詠んだのではないかということです。その根拠としては義経が逃避行を始めたのは2月の2日とされています。上越の直江津あたりに着くのは2の末頃と考えると、その頃の日本海はまさに荒ぶる海だったはずです。

また、天の川の位置についても8月であれば北から南に向かって縦方向に見えますが、逃避行があった2月であれば西から東に向かって横たわるように見えていたはずです。つまり、佐渡沖から見ると天の川は平泉の方角に横たわって見えたということです。