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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 5月28日 ことの経緯

喧嘩の仲裁に入って双方の言い分を聞かずにことが収まると考える人は少ないだろう。これほど常識に思えることが国と国との争いになると全く機能しないのは何故だろうか。ウクライナでの戦争は遠い世界のことだといえばそうかもしれないが影響の大きさを考えると、その影響を無視するのはカチカチ山のタヌキを思わせるほど愚かに思える。

現在も続くウクライナの戦争は世界一の核兵器保有国と核を持たない国との戦いのようにも映る。しかしながら、この戦争を成立させているのはやはり巨大な核戦力を持つ西側の支援だろう。

ところでこの戦争の経緯において西側の立場を表明する日本では、この戦争をロシアの一方的な軍事侵攻だととらえている。何が目的かといえば領土を広げるための武力による現状変更だそうだ。このためうっかり、停戦を求めるようなことを発言すると、貴方は武力による侵略を認めるのかという言葉が返ってくる。このことは日本の政治を動かす国会議員も識者と言われる言論人たちもこの立場に違いがない。

ところが去年からこの戦争の進み方を見ていると、明らかにおかしな点が見えてくる、それはロシアによる支配地域が去年の侵攻開始時からほとんど変わっていないことだ。不思議に思って調べてみるとロシアが支配している地域はドンバスという地域であることが分かった。

そしてこの地域の事情についてウェキペディアで調べてみると、ようやくこの戦争の概要が見えてくる。そこではっきりしてきたのはこの戦争はロシアが領土拡大のために始めた侵略なのだろうかという疑問だ。そのような視点から見るとロシアが言う特別軍事作戦という言葉もなんとなく理解できるようになる。

さて私が知りえたことといえば、この戦争は2014年ウクライナの軍事クーデターからすでに始まっていたということだ。この時、ウクライナではEU側に接近しようとする動きと、ロシア側に付こうとする勢力で分断が起こっていた。そしてこの時政権を握っていた親ロシア派のヤヌコービッチ大統領はロシアへの接近を強めたために武力革命によって倒されてしまった。これがマイダン革命と言われる軍事クーデターだ。この革命にアメリカが影響を与えたということを、後にオバマ氏は語っている。

とはいえヤヌコービッチ氏は2010年にロシアとのクリミアにおける紛争を解決させた実績を持つ大統領だった。ここからウクライナは国内での分断が進み、紛争があちこちで起こりだす。というのも、もともと親ロシア派が多く居住するドンバス地区ではロシアと距離を置くウクライナ新政府とは馴染まないからだ。このため、この年の5月にはノヴォロシア人民共和国連邦という8つの州が一斉に独立を宣言してしまった。当然ウクライナと独立国との間で紛争が起こり、この紛争をウクライナ紛争、ドンバス戦争と呼ぶことになる。

この戦争解決が果たされないことが現在のウクライナ戦争につながっている。そのためロシアが2014年から現在に至るまで戦争が続いてきたと主張するのはこのためだ。因みにこの戦争は同年9月にはミンスクにおいてドネツク、ルガンスクそれぞれの人民共和国は自治権を認められたにもかかわらず。戦闘は治まらず、翌年ドイツ、フランスを仲介としたミンスク2が行われた。しかしながらこの履行が徹底されず、ドンバス地区では虐殺行為まであったと言われているが、このためにロシアは特別軍事作戦を行ったというのだ。このような経緯を見るとロシアの武力侵攻という見方は、かなり偏った視方になるのではないだろうか。すくなくともミンスク合意の時点ではドネツク、ルガンスクは議定書に独立国として調印しており、これをなかったことにはできないはずだ。さらにはこの2か国の市民はウクライナ、ロシアいずれもパスポートは支給されず、国外への出国が8年間も出来なかったそうである。

そこで改めて、現在ロシアが武力侵攻したとされるロシアの支配地区とこれらの独立国の位置はぴったり重なる。つまりこれは軍事侵攻ではなく、ロシア側の主張するミンスク2での合意を履行せよという主張と合致した行動ということが出来ないだろうか。

このような経緯を知れば、これからNATO軍の軍事力をつかったウクライナの反転攻勢は、逆に軍事侵攻となる可能性があるのではないだろうか、少なくともドネツク、ルガンスクの住民が、反転攻勢を望んでいるとは思えないのだ。というのも彼らはすでに住民投票によってロシアへの帰属を望んでいたからだ。