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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 6月18日 糸の切れた凧

糸の切れた凧は自分を維持することが出来ない、糸は向かってくる風に立ち向かい姿勢を維持するための大切な絆だ。先日オーバードーズという言葉がyahooニュースの記事にあった。今の若者の間で使われる言葉らしいが、薬物の過剰摂取のことをこのように言うのだそうだ。

とはいえベトナム戦争のあった60年前にも、若者の間で薬物が横行していたのでこのような状態は今に始まったことではない。この頃と現代の違いは使用される薬物にあるそうだ、現代の薬物とは咳止めや風邪薬のような市販薬を多量に摂取することによってトランス状態を得るのだそうだが、気になったのはこのような行動に至る若者たちのほとんどが、彼らの家庭環境に問題を抱えていることだ。具体的に言うと彼らが学校から家に帰ると執拗な親父の折檻が始まり、そのたびに怒鳴られたり、殴られたり、それを母親が見ていても何もせずただオロオロするばかりなのだそうだ。この文章を読んで私は考え込んでしまった、というのも昭和生まれの私が育った時の家庭環境と今現代の若者が直面している家庭環境は問題の構図が全く変っていないのだ。

とはいえ私の世代の親父にはまだ逃げ場がちゃんとあった、それは戦前の暴力的で封建的な教育で育った人間だったからだ。ところが、現代のトー横、グリ下という都市駅の改札口にたむろする子供たちの親は、平和憲法のもと暴力は悪であると教育されてきた子供たちなのではないだろうか、私はこの状況は明らかに教育の結果だと思っている。この状況をもう少し丁寧に見てみると、いずれの世代に育てられたの子供たちも結局、薬物にたよって現実を拒んでいるということだ。つまり裏を返せば、彼らはこの世の現実を受け入れることが出来ないということで、この世の世界には希望を見出せないということなのだ。

では、このような状況が始まったのはいつ頃なのだろうか、敗戦後からだろうか実際はそうとも言えないのだ、実は大正時代の文化にもこれに近い傷跡がみられる、因みにこのころ世界中で流行りの思想といえば物質中心の思想がある。私はこのような背景と世界中に広がるアンニュイな風潮には関係があると思っているのだ。つまりこのような思想のもとでは精神的な喜びというのは、社会を乱す麻薬だと定義されてしまい、残念ながらこのような思想が蔓延する世の中では、純粋な精神はその精神が純粋であればあるほど行き場を失ってしまうのだ。

このような思いから私には彼らを社会のアウトローと捉えることに違和感を覚えるている、それよりむしろ利権に群がり他人の生活を顧みない者たちこそ精神世界のアウトローなのではないだろうか。いまこそ若者には日本人がこれまで大切にしてきた精神の世界としっかり自分の糸で繋がってほしいと思うのだ。