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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 8月2日 AIと俳句

変な組み合わせだが、実際取り組まれた方がいて驚いた、取り組まれた方は唯坂優さんという方だ。偶然私は不思議な絵のサムネに興味をそそられ作者のホームページを訪れてみた。その絵は、砂漠に横たわる天の川銀河とそこに佇む不思議な物体が描かれていた。ホームページを訪れ驚いたのだが、実はその絵とはAIの作った俳句をもとにAIが描いた絵だった。

さて、私の正直な感想は、そもそも私はAIの描いた絵に惹きつけられてそこを訪れたので、AIの絵に共感を覚えていたのは間違いない、ところがそのもとになった俳句を見て驚いた、正直意味が伝わらない。これはいったいどういうことだろうか、俳句作成のアルゴリズムは作者が制作したというほどの猛者の方だが、たった17文字の組み合わせにこれほど苦労するものなのか、きっと作者も意外な苦戦に戸惑っていたかもしれない。確かにもとになるデータ量の少なさも、俳句の生成に大きく影響しているのかもしれないが、このことを通し私は逆に俳句というものの奥深さを改めて感じてしまった。

私はAIについて何の知識もないが、おそらくAIの技術とは評価に対する最大公約数を探る技術ではないかと考えている。ところがそもそもAIは評価とは何かを理解することが出来ない。例えば古池や 蛙飛びこむ 水の音この有名すぎる俳句もそれぞれの名詞の意味から、この句が表現しようとする世界観を探ることは不可能なのだ。ここに登場するそれぞれの名詞は古池の持つ詫びた静寂、蛙という生き物と飛びこむという動詞の躍動感、そしてこの相対する2つの世界が、そこで起こったであろう水の音によって繋ぎ合わされてゆく。つまり極些細な物事が宇宙全体の理りを表現してゆくのだ。こんな勝手なことをいいながら、私は芭蕉といわず人間の偉大さを改めて今感じている。

などと散々盛り上げて気後れしてしまうが、私は昨晩、港の岸壁に陣取って函館港まつりの花火大会を見物していた。その感動はいまだ冷めやらぬ思いでいる。そこで一句

「夏祭り 闇夜を叩く 花火かな」続けてもう一句

「暗闇に とりどり開く 阿弥陀笠」