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今日は好日Vol.2

2024年1月5日gallery,ようこそ,自作俳句絵画 無意識

2023年 10月16日 映画の考察

先日映画館でこのパンフレットを見つけた。こんなご時世に呑気なものだと思われるかもしれないが、この映画を観た時から私は、この映画をこんな時こその映画だと思っている。それが何かといえばその問いこそが、この映画の重要なテーマだろう。

とはいえそんな問いをいつまでも自分で抱えているのは正直ストレスになる、私はそのストレスから手っ取り早く抜けるべく早速パンフレットを開いてみたが、その答えを容易に見つけることは出来なかった。それならばということで私はこの迷路のような問いを逆に楽しむことにした。

私は初見でこの映画には様々な伏線が隠れていると感じていた、それは映画のタイトルにあるように宮崎氏の幼少期の体験であったり、日本の歴史そのものがこの映画とリンクするのではないかという思いなのだが、ストーリーが進むにつれその伏線がとてつもなく広範囲に及ぶことに気づきこの映画の底知れない深さを感じるようになる。

さてこの映画は大東亜戦争の末期、空襲警報のサイレンが鳴り響くシーンから始まる。このときの空襲によって主人公の真人は大切な母を失ってしまうのだが、このシーンで強烈な印象を受けるのが、街一面に燃え盛る火の海だ。私はこの火こそこの映画に隠されたもう一つのテーマではないかと思うのだ。

ところで火に関する神話といえば日本神話でもイザナギ、イザナミの出会いによって日本国は誕生したと言われる。そしてその出会いは二柱の神に早速悲劇をもたらすことになる、というのも後に誕生する火の神がイザナミの産道を傷つけイザナミを死に至らしめてしまうからだ。これを悲しんだイザナギは、このことを受け入れることが出来ずイザナミを求めて黄泉の国へ旅経つ。私はこのような神話からの引用をこの映画に感じている、しかもこのような引用は日本神話だけに留まらない。このことを特に意識させるのは、真人が転校先で喧嘩になった時のエピソードだ。真人は喧嘩の最中は無傷であったにもかかわらず、家への帰り道に自分でこめかみに傷をつけてしまう。このことで大きな軍需工場の社長である真人の父親は激怒して学校に怒鳴り込むというシーンがあった。

このシーンは神話からの引用を考えずに受け取ってしまうと、真人は子供の喧嘩に親を巻き込むような鼻持ちならない少年となる。果たしてこの映画で宮﨑監督はそんな主人公を描きたかったのだろうか。この疑問はずっと私の心に残っていたが、最近私はギリシャ神話にこれの伏線ではないかと思える物語を見つけた。

とはいえ、ギリシャ神話の伝承も日本の神話に負けないほど多様に存在するので監督がどのような伝承のギリシャ神話を取りあげたかはわからない。例えば、ユリシーズからの引用も考えられるし、世界に伝わる神話と神話をあれこれつなぎ合わせてオリジナルの解釈にすることもあるだろう、これだからこうなるという解釈は難しい。では私が注目したのはギリシャ神話のどの様な場面かといえば、太陽神の子バエトーンの物語にキュクノスという友人がいる、そのキュクノスの最後になるアキレウスとの戦闘シーンが真人のこめかみの傷と重なるのだ。ある日バエトーンは自分が太陽神の子であることを証明するために、父から天架ける馬車を借り天を駆けだす。ところがバエトーンは馬車を制御できずに地上にぶつけその結果、あちこちの街を焼き尽くしてしまったのだ。これに怒った太陽神はすかさず雷でバエトーンを滅ぼしてしまうのだが、友人であるキュクノスはこのことを知り悲しみに暮れてしまう、このときキュクノスは太陽神の子バエトーンの復活を願ったに違いない。

このことから映画に出てくる真人のこめかみの傷と、この神話を重ね合わせると、同じところに傷を持つキリコとは同一人物の可能性が出てくる。私は彼女も真人と同じキュクノスの生まれ変わりで、バエトーンの復活を願う者だと考えている。そのことを裏付けているのがキリコの着物についている車輪の柄で、私は初めこの図案を船の舵輪だと思い込んでいた。というのも彼女のいで立ちはまるで頭に巻いたバンダナといいカリビアンパイレーツに出てくるジャックスパローのようだからだ。ところがその柄は舵輪にしては少しおかしなところがある、それは舵輪につきものの持ち手がどこにもついていないのだ。そこでこの柄を改めて見直してみると、舵輪というよりむしろ私には車輪のように見えてきた。つまり、車輪の図柄は天架ける馬車を表し、その図柄を身に着ける彼女も真人と同じキュクノスの生まれ変わりだとすればどうだろうか。長くなったので続くにします、ではいずれまた。