令和 あくび指南
2024年 7月28日 開会式
昨日訪れたビルのエレベーターで先に待っていた清掃員の方が、大きなワゴンをエレベーターに押し込みながら、私に同乗するスペースを空けててくれた。彼女は勤務明けの方なのだろうか、同乗中、独り言のように早く家に帰ってオリンピックを見たいと呟いていた。
それにしてもオリンピックはこれほど人々に愛されているのかと思うと、何故かは分からないが私も嬉しくなった。ところで私は競技よりも先に開会式の演出に興味が向いてしまう。それが良い悪いは別にして、式典にはその国が国として最もアピールしたいことが表現されていると思っている。そんな開会式の中でも私が忘れられないのは、バルセロナとモスクワオリンピックだ。何故かといえばその式典に盛り込まれたアーティストの層の厚さはまるで資源大国のような優越感を際立たせていたからだ。この思いの雪辱を4年前の東京オリンピックに期待していたが、残念なことに充分な環境が整わない開催になってしまった。
とはいえ、今回のパリオリンピックも、やはり社会情勢が極めて不安定な中での開催であり、ベストな環境で無いことは否めない。そんな中、船を使ったパレードというアイデアは警備の面でも、また市街をより立体的に表現するというビジュアル的な面においても素晴らしいアイデアだったと思う。さて実際この斬新な演出は巷でも大きな話題になっていたようだ。私が視た動画ではノートルダムの尖塔に大天使ミカエルならぬ黒い衣装の男が映し出され、その後頭を仮面で覆われた男が別の屋根に登場しすぐに姿を消した。次の画面ではお城が映されその周りをお祭りの山車に載せられた船のモチーフが進んでいた。驚いたのは、城にある多くの窓から貴婦人が、その様子を覗いているようなのだが、彼女の首はすでに落ちていて、その生首を自ら抱えているようなのだ。やがてエレキギターの演奏が始まり城の周りから一斉に赤い糸が花火のように吹き上がった。ある人はこれを見てまるで血しぶきのように感じられたかもしれない、とにかくグロイ演出で、私もこれを見て喜ぶ人に近づきたいとは思わない。
ところでこの演出はフランス革命によるマリーアントワネットの悲劇を表現しているのだろうか、いや画面から伝わってくるのは悲劇を嘆くというより、むしろこれに打ち勝ったことへの高揚感ではないだろうか。いずれの問題があったにせよ、なくなれば皆仏と信じる日本人にとっては違和感を感じるところだ。さてここから画面は転換して、動画は土砂降りの雨に濡れるリアルな路上ダンサーを映し出していた。このように動画はこのようなライブ動画とストック動画を切り替えながら構成されている。ちょうどウィーフィルのニュウーイヤーコンサートを思わせる造りだ。
そしてこの映像のクライマックスには、先ほど画面から消えた頭の見えない男がパリ市街の屋根を次々飛び回るところが映し出される。そのうち、これと入れ替わりにボートで入場する各国の選手団が画面に映し出された。いよいよ日が落ち選手の入場が終わると、セーヌ川を滑るように銀色に輝く一頭の馬が現れた。そこにはオリンピックのマントを付けた、先ほどの頭の見えない男が乗っていたのだ。次の場面ではエッフエル塔を背に聖火台のある特設ステージが現れ、そこに先ほどの男が大勢に囲まれ馬に乗ったまま現れた。よく見るとこの男は、いつのまにか手にトーチを持っていて、その聖火を舞台で迎えるオリンピックのレジェンド達に手渡したのだ。では一体、この不思議な格好の男は、何を演出しているキャラクターなのだろう。
マリオでないことはすぐに分かったが、この男は演出家がよほど注目させたいモチーフなのだろう、私は彼のフロックコートにブーツ姿といういで立ちから、彼が象徴するのは、特権階級つまり貴族階級なのではないかと思っている。そして彼の頭が見えない演出から、彼らはすでに首を落とされ実態を失った存在で、その流れから言えば、手にした聖火は彼らの栄光という意味があるのかもしれない。つまり彼らは自分たちの栄光も、今この瞬間手放すことになったという演出ではないだろうか。
さて彼らが手放した光は、直ちにオリンピックのレジェンド達に手渡され、受け取った彼らはその栄光を厳かに聖火台に差し入れた。その瞬間、炎があがり、あっという間に聖火台を包み込んだ。ところがその明かりによって今度は巨大な気球が漆黒の闇の中に浮かび上がった。と思うと気球はするすると闇夜に舞い上がり、そこにつるされたゴンドラが宙に浮かぶ聖火台となり闇夜に浮かぶ巨大な気球を照らし出す、まるで空中に浮かぶ聖火台という前代未聞の演出だった。さて、これを見て美術マニアは、きっとあるアート作品を思い浮かべていたに違いない。それはオディロン・ルドンによる「目=気球」という作品だ。これを見た私は幻想的なそのビジュアルに感激にながらも、同時に全く別のイメージが頭に浮かんでいた。それはかつて見た邦画でその映画には、何度も一つ目のキャラクターが登場してきた。その映画のタイトルは20世紀少年で主題曲にはTレックスの「20センチュリーボーイ」が使われていた。そのせいで、これを見てからこの曲が私の頭で鳴り響いている。さてこの前代未聞の開会式なのだが、この演出は我々に隠された問を投げかけているようだ。どんな問いかといえば「バルーンはすでに上った。君たちはこれからどう生きるか」と言いっているようだ。そんなことを急に問われても、とりあえず私はアイーンは恐ろしいとしか返せない。