令和 あくび指南
2024年 9月1日 平和的解決
といえば話し合いでの解決というのが一般的で、この場合も立場が平等でなければこの解決は難しい。これに対してどうしても自分の思いを遂げようとすれば最終的に暴力に訴えることになる。とはいえ平和的と言われる論戦の中でも極めて暴力的な論戦が見られるのも興味深い。具体的にどのような論戦かといえば、大声によって相手の発言を封じようとする場面だ。このようなことが起こるのは相手との会話が成立しない場面で起こるのだが、具体的に言えば、相手がこちらの意見を全く無視した場合と、議論では負けてしまうと自覚した場合だろう。なかでもたちが悪いのは相手が全く聞く耳を持たない態度の場合で、この場合は、まともな議論を試みようとするほうが、これに耐えかねて激高し、極めて不利な立場に陥ることが多い。
さてこれがテレビ討論会などであれば、視聴者がうんざりするだけで済むのだが、国益の関わるような国際会議の場であったらどうだろうか、最悪の場合は国民を巻き込む戦争ということになってしまいかねない。こうならない為には国民が真剣に国会議員を選ぶ責任がある。というのも民主主義はこのような重大な責任を国民一人一人が負わなければならない制度だからだ。つまり国会議員が無能だというよりも国民が無能だという意識を忘れてはならない。
ところでこのような重責を担う国会議員を選ぶためには、国民は国会議員が日頃何を望んでいる人なのかを知らなければならない、このためには街頭演説ばかりでなく、議員の実績について知る必要がある。特に国益についての考えは重要である、要するに我々日本国民のことを真剣に守ろうとしている人なのか、或いは海外の利益を国益よりも優先する人なのかを見定める必要があるだろう。そしてさらに重要なのは議員の資質というものだ。これは議論についての素養があるかどうかで、自分の思いを平和的に届けるための重要な資質と言える。これを兼ね備えた人というのは世の中にそう多くはいない。つまり自分の思いばかりが強くても論理的な会話の資質がなければ、国内はおろか国際舞台において国益を守るなどということは不可能に近い。
これから国政選挙が近づけば様々な論戦が、いたるところで繰り広げられ、我々国民はそのような場面から国会議員を選ぶことになるのだ。とはいえ政党政治中心の日本においては当然、議員の所属する政党のマニフェストに注目するのは当たり前と言えるかもしれない。しかしながら議員の資質となればまた別の視点も必要になるだろう、何故なら国際情勢はもとより世の中は常に変化しているからだ。その中で国益を守るためにはそのような変化を受け入れつつも、未来の理想から最善の方法を模索できる素質が必要になる。そうでなければ変化の絶えない国際舞台では平和的な議論による問題解決は不可能で、いつのまにか暴力での解決に流されてしまいかねない。このように平和を望む人というのは、平和を叫ぶばかりで他国の思いに全く無関心な人、或いはただ他国の言うことに盲従する人ではない。そうでは無く相手国の立場も考慮しつつ、その落としどころを自分の考えで模索することの出来る人だといえる。