令和 あくび指南
2024年 11月10日 日本とフェミニズム
といっても私はフェミニズムが何たるかを知らない。国連の一機関が位置づける男女差別の順位によると世界146カ国が参加する国の内、日本は堂々の118位なのだそうだ。要するに労働市場における女性参加率が、世界から見れば少ないという事をランキングで世界中に曝されている。とはいえこのような順位付けは、今後社会にどの様な影響を及ぼすのかを考えれば、この基準は極めて一方的に思える。
というのも男女の社会参画というのは、その国が持つ伝統文化や信仰とも結びつく極めてセンシティブな要素をはらんでいるるからだ。つまり、それはお国柄という個性であり、これを大切に考えることが、それこそ多様性を認めるということにも繋がる。ようするに国連は、一見個性を大切にしましょうなどと言いながら、その一方で女性の社会参画率という、一方的な基準を当てはめることにより。もともと肉体に備わっている物理的個性を全く顧みない、たしか国連には、人類の健康維持を促進する機関が存在しているはずなのだが、女性の長時間労働などはどのように考えられているのか、このようなものを世界に曝す前にそのことは充分検討されてのことだろうか。
このような根拠に乏しいランキングに対し、日本社会は昔から女性の才能をないがしろにする野蛮な国なのかといえば、これまた日本が辿ってきた太古からの歴史を振り返れば全くそんなことがないばかりか、日本文化はむしろ女性の活躍に光をあてた先駆けと認識するべきだろう。では、世界的な芸術家や著名人を探れば、文学の世界ではバージニアウルフ、彫刻家ではカミュクローデル、画家ではキース・ヴァン・ドンゲンほぼ皆無の中に樋口一葉が顔を出す。つまり敗戦以前の日本は自由のない封建社会という刷り込みは、まるで根拠が無いことがばれてしまう。しかも日本のフェミニズム運動は平塚らいてうのとなえる「元始、女性は太陽であった」という言葉に象徴されるように、もともと日本は女性を太陽とする思いがあったのではないだろうか。
そればかりか、日本画壇においては上村松園という画家は、今でも圧倒的な存在感を示している。しかもその子息である上村 松篁氏、先日逝去されたその孫上村 淳之氏、という画壇のリーダーを輩出されているのだ。私が何を言いたいのかといえば、日本が女性を軽視し、社会的に抑圧された環境を顧みないという事実はない。というより世界最古の小説源氏物語は紫式部と言われる女官が残したのだという。つまり紫式部は天皇により召し抱えられた世界最古の職業作家ともいえる。その辺のいきさつは見事な映像美で綴られる「光る君へ」という大河ドラマが面白い。このドラマを視て私は紫式部と清少納言との関係を初めて知ることが出来た。そしてここに登場する、文字や歌の美しさなど演出の面白さには興味が尽きない、これこそ文化的という言葉が似つかわしいドラマだと思う。
このような先人の叡智に触れるにつけ、一方的で短絡的な評価に踊らされる現代の日本には、直ちに目を覚まして欲しいと祈るばかりだ。