令和 あくび指南
2025年 1月26日 今も昔も
大河ドラマの田沼意次が「世の中かねかねかねだ」と言っていた。確かに今も世の中かねかねかねなのである。一応ことわりを入れておくと、このドラマではこの言葉をマイナス一辺倒には捉えていないようなのだ。というのもこの時代、商業が盛んになり新しい付加価値が次々世に生まれて来ると、本来貨幣の持つ希少性だけで貨幣の価値を支えることは難しくなる。ようするに貨幣の価値が強すぎれば社会に流通しなくなり、価値を減らせばインフレの波が襲ってくる。しかもここに海外の事情が加わってくると、さらに話はややこしくなる。因みにこの頃の金と銀の交換レートは日本と海外では3倍の差があり、これに目を付けた海外の商人によって金が多量に海外に流出してしまったという。なんだか今の世界経済とさして変わらない問題がこのころすでに存在していたようだ。
因みに経済が活気づくところ娯楽も花開くようだ。この時代から日本は世界に先駆け雑誌やブロマイド文化が発達し庶民の娯楽になっていた。まさに蔦重のお陰である、とはいえこのような出版物が世に広く受け入れられるためには識字率の高さがなければ成立しないことであり、つまり教育という意識が庶民に備わっていなければこのような社会現象はありえなかったのである。
ところでこの大河ドラマは吉原というロートレックも愛した花街から始まる。これだけでも今の時代いろいろ叩かれそうだが、そのうえこのドラマの描写はエミールゾラの自然主義を思わせる徹底ぶりで第一話では早速、身ぐるみ剥がされたまま打ち捨てられた遊女の裸体が登場した。これに対し案の定、あちこちから厳しいコメントが湧いていた。とはいえこのようなリアリズム表現は、当時の不条理な暮らし向きを、庶民の快活さで跳ね退けてきた暮らしぶりを浮き彫りにしている。そして当時人口100万人を超える世界一の過密都市江戸は、幕府による厳格な封建社会にありながらも、このようなしたたかに生きる庶民によって、世界に誇る庶民文化の創生を果たしたのである。さてこれほど見事な大衆文化を生んだ日本が、いまではリンリリンリと言って、まるでコオロギが如くである。これで世の中、何が面白いんだべらぼうめと言いたくなる。