新日本を護るために
2024年 10月12日 滅びへの抵抗
昨日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞決定という発表があった。この受賞が核兵器の悲惨さを世界に伝えるきっかけになったことは間違いない。とはいえ悲惨さが伝わることによって核兵器が世の中から姿を消す動機になるかと言えばどうも心もとない。というのも核兵器は最終兵器だという思いに捕らわれている内は核兵器の廃絶には厳しい道程が続くだろう。
これに終止符を打つためには、この兵器がいかに無能で金食い虫の出来損ないであるかを人類が冷静になって認識する必要があると私は思っている。と言うのも昔から言われていることだが核兵器には勝者がいないという呆れた常識を認めるだけのことなのだが、いまだに核兵器の保有数が戦争の勝敗を決めてしまうという幻想が蔓延っている。つまりあわよくば自分たちだけは生存の可能性が残るような幻想を抱いて、せっせとこれに税金をつぎ込むわけだがそんなことに税金を使うくらいなら。これを無力化するためのレーザー兵器に税金を投入すべきだというのが、これまでの私の考えだ。このことは日本のレーザー技術発展に貢献し民生化できれば、日本は世界に新たな市場を開拓することが出来る。しかもこの技術はすでに実用化の段階にあり、しっかりした発電技術と組み合わせれば、日本経済の発展に大いに貢献できる技術であることに間違いはないだろう。このような経済的発展のチャンスに投資を怠り無用な核兵器保有を夢想することは甚だ残念に思えてならない。
ところで子供の頃、私もよく宇宙旅行に憧れたものだった。きっと人類は何時しか天の川銀河を飛び越え別の銀河へ旅するのだという夢を見ていた。ところが物心がついて、いつの間にか宇宙の広さは何億光年あるなどと言う知識が身についてしまうと、とてもそんな長時間の旅行などは自分の肉体では望むべくもないと諦めてしまう。そうは言っても、やはりどこかの誰かがそんな人類の夢を実現してくれるのではないかという淡い期待も捨てきれない。きっと人類の誰かが、私に替わってわし座にある創造の柱を肉眼で目にすることが出来るのではと想像してみるのだ。
そう考えるだけで、人類を破滅にしか追いやらない核兵器が何故iいまだにこれほど崇められるのか私には理解が出来ないでいる。