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新日本を護るために

2024年11月21日gallery,ようこそ日本を護るために

2024年 10月25日 思考プロセス

今日も検索エンジンのAIは、私のツボを的確に攻めてくる。なのでこのループに一度はまると、どうしても同じような内容の記事が続いてしまう。

さて今日私はどんな記事に釣られてしまったのかといえば、正確ではないが僕が拘る思考プロセスの見極め方という見出しの記事だ。これは総裁候補者の総理大臣の資質について述べているものと思われるのだが、この記事では先の総裁選で有事の際は超法規的対応も辞さないと発言した候補を引き合いに出し、この発言が現実的な思考ロセスのように語られていた。このような弁を残したのは、驚くことに現役の弁護士であり元市長や知事経験もあって、さらに言えばとある政党の元党首でもあった方なのだ。私がこの記事で受け取ったのは現実的な思考プロセスの持てない人に総理総裁の資質はないといっている。その具体例に引用されたのが、もし台湾有事があった場合の対応についてだ。簡単に言えば国家承認や現行の自衛隊法にある明らかな不備(現行の自衛隊法では戦場から邦人の救出は出来ない)に対して超法規的対応をとると発言したことが総理総裁に相応しい思考プロセスであるかのように語られていることだ。

そもそもこのような回答がマスメディアにより垂れ流されることが、まずもって法治国家への挑戦とも受け取れるのだが、私は法律のことなどさらさら学んだこともないが、法律がこの世に無ければ何がこの世界の行動規範になるのかと考えれば、最終的にば暴力の優劣がその基準になるとさえ思っている。このことは現在のガザ地区の様子を見れば明らかで、何故あれ程の非道が罪もないパレスチナの民に降りかかるのかといえば、彼らは武器も持たず何ら抵抗も出来ない民であるからに他ならない。

言い方を変えればこのような非道を止めることの出来る頼みの綱が法律ではないかというのが私の認識なのである。実際これに准じるはずの国連がこの件に関しほとんど活躍出来ていないことが世界の不幸だとも思っている。要するに世界に通用する法律こそが世界の平和につながる最後の砦だとも思っているのだ。

だからこそ、これほど誰もが予測できる危機を目の前にしていながら、憲法改正がまるで戦争を容認することのようにすり替えられ、認識されることは大変危険な思考パターンだとも考えている。しかもそれ以上に超法規的対応も止む負えないという思考プロセスは世界の遵法精神を危うくするものであり、ひいては世界平和を希求する人類への挑戦とも受けとられかねないからだ。

因みにこの発言者は、国家が認める法曹界に現役で籍を置くというのだから、日本の司法もかなり危険な状況にあると思った方が正しいかもしれない。