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2024年9月19日gallery,ようこそ日本を護るために

2024年 9月19日 民主主義とポピュリズム

国政選挙が始まると盛んに聞かれる言葉だが、民主主義を守れとは聞くが、ポピュリズムを守れとは聞かない。というのも古代ギリシャの時代からポピュリズムは民主主義の失政を揶揄する言葉なのだ。具体的に言えばすべての国民が平等に投票権を持つ世界では、ともすれば大衆の欲望に阿ることで選挙の結果を自分の都合がいいように変えてしまうことが出来る。極端なことを言えばお金をばら撒くことで票を買ったり、脈絡のない減税で大衆の関心を煽るなど今も昔もその手法に然程違いは無い。

つまり時に民主主義は政策についての良し悪しよりも、初めからこのような大衆の欲望を刺激することによって簡単に誘導することが出来る。そこまで露骨なことをしなくても有権者が政治に全く関心を持たなければ、選挙は結局、知名度や容姿、話し方の印象などで大きな影響を受けてしまう。しかも現代の選挙戦は明らかにこの知名度をいかに上げるかの戦いと言っていいほどだ。つまり候補者のポスターをどれだけ多く街に張り出すか、街宣車をどれだけ多く回せるかが選挙の勝敗に繋がっている。これを積極的に取り入れ、見事に結果を残したのがかつてのナチス党で、今やポピュリズムのレッテルを貼られることは、このナチスを連想させることになり、候補者にとっては迷惑この上ないレッテルになる。

とはいえ、現代の選挙においてもこの手法が絶大な力を持つことは今も変わりが無い。特にマスメディアと提灯コメンテーターを使った印象操作は非常にたちが悪い。これを使えば何処にたどり着くか分からない候補者の公約も、まともな公約に聞こえてしまうからだ。こんなことに惑わされない為には、候補者がこれまでどのような実績を残してきたかを有権者は確り見定める必要があるだろう。

さてこれ以外にも選挙の争点にされる言葉に自由という言葉がある。要するに国政について語る場合は規制を強めるか緩和かということになる。確かに世の中には不思議な規制も多いが、命にかかわる問題や国益に関わる問題には国が積極的に関わり、国民の安全を守る姿勢を示していく必要がある。そのために規制は国民の生活を守ることを第一に優先して決められることが最低限必要なことになる。そうでなければ暴力が物を言う恐ろしい世界が蔓延ってしまう。先日アメリカ大統領候補がまたも命を狙われる事件があったばかりだが、このようなことが当たり前に発生する社会は、もはや異常としか言いようがない。アメリカが早くまともな社会にもどれることを願っている。