新日本を護るために
2024年 9月21日 ポピュリズムに向かわせる政治
国民が政治に関心を向けなければ、国民は政治家、いやマスコミの言いなりになる。つまり政治家がどれほど嘘をつこうが、或いは国民をどれほど危険な目に合わせようが、TVの解説をすべて鵜吞みにしてしまうところがポピュリズム最大の功罪ではないだろうか。
これに対抗する為には国民が政治にもっと関心を寄せ、政治家がどんなことに取り組んできたのかを知ることが、この危険を回避するための必要条件だと言える。つまり名前と政党名だけの選挙ポスターに象徴される選挙というのは、まさにポピュリズムを標榜するものだ。
さて、今巷でその動向が注目される自民党の総裁選なのだが、私の目には、有権者を本来の政治に目を向けようとする動きと、それとは反対に有権者をこのポピュリズムという目くらましに閉じ込めておこうとする戦いのように映っている。というのは自民党総裁選に立候補した高市早苗氏は自分の行ってきた政策について国政レポートの配布にいち早く取り組んできたのだが、今回の総裁選間際に決まった新ルールでは、不思議なことにこれをよろしくない行為の如く扱っている。これでは国政レポート配布がまるでお金の掛かる選挙の代名詞の如く扱われているのだ。これでは政策を有権者に問うという姿勢からあたかも、有権者を政治への関心から遠ざける行いとしか思えない。つまりこのルールは、政治家自らが自分の政策を有権者に問うことよりも、有権者はTVでもご覧になっていて下さいと言っているようなものなのだ。
では何故この不思議なルールが出来たのかといえば、これにもやはり政治資金の問題が関わってくる。これはパーティー券で集められた政治資金の経理に関する事件だが、結局は政治家への寄付金の話しで、どう計算しても10億円ほどの経理の話しにすぎない。ところがこの大騒ぎの陰で日本の安全に関わる重大な事項が次々と決定されていたのだ。ところが、国会ではこの議論のために、いまだに多くの時間が浪費されている。浪費と言ったのはいくらこの議論に時間が費やされても問題の本質にある、このパティーが無記名の政治資金集めであることには全く触れられてこないからだ。これでは何らかのルールが決められたとしても不毛なルールが決められた感が拭えない。結局、国会における貴重な時間ばかりが浪費されてしまったという印象が残ってしまう。
それより優先して欲しかったのは同時に起こっていた能登地震の災害復興についてだ、はたしてこの復旧についての目途はついているのだろうか。何より心配なのは、これから秋も深まり寒さが身に染みる季節になってくるが、被災者の居住環境はこの寒さを乗り切れるだけの設備は整っているのだろうか、総裁候補者が災害復旧に取り組んでいるなら、ぜひ国政レポートで報告すべきだろう。ところで自国民に対しての災害支援に追加支援が1389億円決定されたというが、すでに2兆円を超えるウクライナ支援に比べれば、日本国民に対しての支援と余りの差があることに驚いてしまう。これまでまじめに納税してきた国民と海外支援との明らかなこの差を国民はどのように受け止めればいいのだろうか。
そればかりではない、外務省のホームページによると日本には武器輸出三原則というものがあって国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合以下のことが決められている(1)三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない。(2)三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎むものとする。(3)武器製造関連設備の輸出については、「武器」に準じて取り扱うものとする。と言う文章が公表されているが、日本の現外務大臣は、戦争真っ只中のウクライナを訪れ地対空迎撃ミサイルのセンサー供与を申し出ている。いったいこの脱法行為に日本国民の血税と安全はどれほど毀損されてしまったのか、というのも、この戦争が始まるつい4年前まで友好国のように交流のあったロシアは今や日本を敵国として核ミサイルの標的にしているという。これほどの重大事が政治資金の不正問題という降ってわいたような話題のために世間の目を掻い潜ってしまっているのだ。
そしてたった今もこれに関連して、これまで日本の国益を守るため真摯に政策に取り組んでこられた高市経済安全保障担当大臣が、この茶番劇の被害を受けている。自民党総裁選は確かに自民党内部の問題なのかもしれないが、この選挙は一時的にも内閣総理大臣を決める選挙にもなる。一国民の願いとしては、国益を守るという価値観を共有できる方が総理大臣として望ましい。自民党が国政与党であり続けるためには、支持率を下げても顧みない政治家に付き従うことは改めなければならない時期にきているのではないだろうか。