新 思考ラボ
2026年 6月20日 現代アート

これに特別な興味を持たない人にとって現代アートは「よくわからん」という対象かもしれない。それでは、この感覚は鑑賞者だけの事かといえばそうではないだろう、私はこの言葉にこそ現代アートの本質が表現されていると思っている。つまり表現する側も実は「よくわからん」ことを表現として期待しているのである。
ここで何時頃からこんなややこしい事になったのかを探ってみると、私はどうやら産業革命の辺りではないかと思うのである。というのも、それまでの世界ではありとあらゆる創造物は有機的な生命を介してもたらされることに決まっていた。つまり、創造物とは究極的に神の恵みにすぎないのである。対する産業革命以降にもたらされた工業製品といえば人間の考えた理論がもたらす創造物ということになる。さらにこの時代アイザックニュートンなどによる物理学の目覚ましい発展により、人間の考えだす理論が物事の本質なのではないかという科学万能の時代になってくる。
ところが、20世紀初頭になるとこれに水を差す出来事が起こってしまった。それがWW1であり、ここには万能と信じ込まれる最新の科学技術が大量投入されていた。その結果人類が目の当たりにしたものは、あまりにも残虐で凄惨な戦場だった。つまり人間が信じた科学によりもたらされたものは、富ばかりではなく若者の無惨な死という取り返しのつかない代償を伴っていたのである。
要するに人類は、この時2つのイデアを失ってしまったのではないだろうか。その1つ目は宗教における絶対的な神聖さで、2つ目は科学技術によりもたらされる物質中心の思考だ。つまり現代アートとはこれら2つのイデアに対する絶望ではないかと思うのである。その結果生まれたのは既存の価値観の否定と論理的思考に対する反動なのである。つまりそれこそがダダイズム運動であり、そこからシュルレアリズム(超現実主義運動)に繋がっていったのではないだろうか。具体的に絵画の世界で言えば、それまではいかに神聖で誰にも好まれる美しさを表現することが絵画に求められていたのだが、こうなってしまうと美しさとは前時代的イデアでしかない。そればかりか描くという行為そのもの自体を否定的に捉えるようになってしまったのである。
そんなところに人類は本当に価値を見出すことが出来るのかと疑いたくなるが、現代アートの隆盛はその答えを我々に示している。