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新 思考ラボ

2026年6月24日ようこそ

2025年 1月2日 理解と感動

今の私は絵画という表現が何かしらの価値を持っていると信じて疑わない。とはいえそれがいつからそのような妄執に取りつかれてしまったかといえば、私の記憶辿るとあるテレビ番組の影響を強く感じる。なかでも日曜の朝放送されている日曜美術館というNHKの番組は、私にとって特に強い影響を受けている番組と思っている。

というのも先日放送された高階 秀爾氏の「名画は語る 美術史家・高階秀爾のメッセージ」を視て、この番組とは放送から50年以上のお付き合いであることを知り、改めて私が美術に関する多くの知識をここで得ていたことに気付かされた。そして続けて放送された特別アンコール「私とフェルメール 谷川俊太郎」では、私が美術に寄せる思いの原点はここにあったのかと確信することが出来た。

高階氏といえば西洋絵画を美術史という視点で美術初心者との懸け橋となってくれた。中でも「名画を見る目」という著書は、私にとって西洋絵画との窓口のような存在である。というのも何も語らない異文化の絵画は、絵画鑑賞に馴染みの薄い鑑賞者を取り付く島の無い不安に陥いれてしまうからだ。ここに言葉による丁寧な梯子を掛けてくれるのだから、鑑賞者にとって心強いことこの上ない。ようするに氏は絵画を西洋文化を言葉に置き換えることで誰でも受け入れることが出来る素地を作ってくれたのだ。

それに続いて1980年に放送された「私とフェルメール」の再放送は、谷川氏による美術鑑賞の本質を表現しているように感じた。私がこの番組で印象的だったのは、谷川氏が番組の冒頭で「感動は言葉にならない」と言い切ったところだ。

ここで美術史家と詩人では絵画に対する視点にハッキリした違いが際立ってくる。つまり美術史家の追求する理解という視点と、詩人が言葉で紡ぎ出そうとする感動という視点だ。

ところで、谷川氏の詩による表現では不動という言葉が印象に残った。つまり、これこそ氏の捉える感動の本質なのだと思うと、氏の捉える感動とは何かが見えてくる。つまり不動とは禅の世界で求められる無の世界を表現する言葉だからだ。そうだとすれば私のイメージする無の世界と氏の表現する不動の世界は何かしら共通点があるのではないかと嬉しくなってしまった。

つまり感動や感情は時空間の縛りを受けないものとして認識しているのだ。これに対し言葉は、時空を表現するツールとして認識している。つまりこの世界を説明する言葉こそこの時空を構成するものだと思うからだ。と言う事は詩人に求められる言葉には時空の説明を超えた要素が必要になる。結局クリエイターとは、自分が手に触れることも、見ることさえ出来ないものを、あると信じてひたすら磨き続ける人達なのかもしれない。

理解と感動、人は生まれると、誰もがこの狭間を揺れ動くものらしい。そして感動は言葉を超えた不動の世界に潜んでいる。

ようこそ

Posted by makotoazuma