春望録
2025年 2月13日 何のための改革か
国民生活に不満を感じるのは何故か、政治か経済か様々な改革が思い浮かぶ。というのも生活が苦しいと感じる国民が増えていることは間違いないだろう。問題はそれが何故かと言う事だ。このことについて現在やり玉に上がっているのは税制が悪いという答えだ。しかしながら、これがどのように悪いのかといえば明確な答えは見出しずらい。例えば年収の壁という問題がある、現在103万円を超えなければ所得税の申告はいらない事に成っているので、所得の低い非正規雇用者は自主的に雇止めにしてしまっていた。今回この壁を123万円に引き上げるという見通しなのだが、これによりどれだけの経済効果が見込まれるのかといえば年収にもよるが一人当たり年間10万円にも満たない額にすぎない。ところがこれとは別に106万円の壁というものがある。こちらの方はさっさと審議が済んだらしいのだが実はこちらの方が経済全体に与える効果は、はるかに大きいといえる。というのもこちらは、社会保険や年金の加入条件を決める壁だからだ。ところが、こちらは103万円の壁の影に隠れてさっさと撤廃されてしまった。
さてそうなると正規非正規関係なく労働の対価を受け取ろうとすれば、年収や企業の規模に関わらず雇う側はこの保険料を支払う義務が生じてしまう。これまで正規社員の保険料は労使で折半が基本だったが、収入によってはすべて雇用側が負担することになる。こうなると予想されるのは雇用側がその分の賃金下げたり、それが出来なければ雇用契約自体を見直す可能性も出て来る。いずれにしてもこの改革では国民の手取りを増やせと言う目的からは外れているとしか言いようがない。
では何故今手取りを増やすことが必要かといえば、先の日米会談にもあった通り良好な日米関係を維持すためには急いで内需を増やす必要があるからだ。これが出来なければアメリカとの貿易も経済や安全保障確保もすべての見込みが立たなくなるからだ。
さてこのような状況から減税を考えるとすれば、かなり思い切った減税が必要になってしまう。ところで日本政府は税金を取り過ぎなのかといえばGDPを基準にした各国の状況を見れば、ルクセンブルクやフランスの負担率に比べれば日本の負担率は結構低い方に位置している。またGDPに比べた歳出もさほど高いとは言い切れず、世界各国の中では中間位の位置にある。要するに日本は税金を取り過ぎだともいえず使い過ぎだともいえないのである。つまり国民の手取りが低いのは、極論すれば企業が支払う賃金が低いと言う事に成る。とはいえ、だからと言っていきなり最低賃金を上げてしまえば、日本国中倒産の嵐になってしまうだろう。
大切なのは利益を上げた企業が多くの賃金を支払えばいいだけの話なのだが、これがそのようになっていないところが日本経済の問題なのである。例えばTPPのような経済連携を進めれば日本の農家などそのしわ寄せが必ず来る、これに対して政府は充分な手当てが出来ていただろうか、つまりこのような不公平を是正するための政策を厳密に行うべきではなかっただろうか。具体的に、そのように考えると農家に対しては一人当たり200万円ほどの生活保障か、税額控除があってもおかしくない。というのも食糧需給率の向上は長距離ミサイルの購入以上に国民の安全に貢献してくれるはずだからだ。また地方創世の取り組みからも農家や林業従事者は地方創世の要と考えれば、ここへの補助はさらに惜しみなくあるべきだろう。
税制の改革は当然必要とは思うが、何を目的として改革するのかもう一度考え直す必要があるのではないだろうか。