春望録
2025年 2月15日 日米会談の結果
を受け日本経済はいきなりの赤信号が点灯した。昨日JIJI.COMの記事によると4月からアメリカは輸入される各国の自動車に25%の関税を掛けるという発表があった。とはいえこうなることは日米会談の前から伝えられていたので、遅くとも責任ある政権はこの事態を想定し政策を変更すべきだっただろう。ところが、会談に臨もうとする現首相はまるでその配慮がない。というのもトランプ政権が今最も苦慮しているはずの不法移民問題に対して、日本はガザ難民を受け入れましょうと言い出す始末だ。これを聞いてこれから日米関係の友好を期待する日本国民は青ざめてしまった。
これでは日本の首相は、トランプ大統領がいま何に最も苦慮しているのかさえ理解していないことになる。これで友好関係を築きましょうと言われても、日本人でさえ、こんな人とのおつきあいは遠慮したくなる。結局、会談後トランプ大統領からのメッセージを日本の首相は受け取ったものの、そこには首相の名前はなかった。要するにこれでは授与される前の真っ新なトロフィーと変わらない。終始にこやかに行われた日米会談だったが、私にはトランプ大統領の大人の対応が印象的だった。
なんとも同じ日本人として恥ずかしい限りなのである。そんな残念な思いを、さきほど視たTHE歴史列伝というTV番組が救ってくれた。その番組で今回取り上げられていたのは、戦前活躍された外交官杉原千畝氏だった。この話は当時杉原千畝氏が大使として赴任されたリトアニアの大使館でのことで、1939年のドイツによるポーランド侵攻により、大量のユダヤ難民がこの時日本大使館に押し寄せたのだ。当時日本はドイツとの同盟関係にあったが、杉原千畝氏は自身の智略により、独断で難民の彼らにビザを発給し続けた。しかしながら、この行為は同盟国ドイツの意に沿わないものだった為に、この行為に及べば、自分の職も家族の命も危険に晒してしまう可能性があった。
さてそんな危険を冒しても氏は何故、彼らの命を助けたのだろうか。このことについては氏の道徳心は言うに及ばず、やはり氏が日本国の輝かしい未来を思えばこその行動ではなかったかと思える。それにしてもこのような千畝氏の決断を彼の家族は人の為だと言ってすんなり受け入れている。このことは、当時の日本人が命の大切さについてはこのように捉えていたのだろうと思う。これに比べ、現在目先の損得勘定を最も優先する風潮や政治家の道徳心とは大きな隔たりを感じてしまう。
話が入り組んでしまったが、要するに何を言いたいのかといえば、日本とアメリカの道徳心の違いである。つまりトランプ大統領の持つ平和対するビジョンと日本の首相のビジョンの違いである。例えばガザの問題について言えば現地に平和な環境を創ることによって難民自体をなくそうと考えるのか、後先考えず難民を現地から遠い日本に受け入れましょうといってその場を繕うのかの違いがある。つまり難民の幸せを思えば住み慣れた土地を離れるということは、どういう思いなのかという思慮に欠けているように思われるのだ。具体的に住み慣れた土地を離れたくないと思えば、自ずとアメリカ政府と協力して現地に医師団の派遣をしましょうとか、現地のインフラ整備に日本も協力しましょう等の提案になるのではないだろうか。
要するにアメリカは現地で難民が発生しないように取り組もうとしているところに、日本側って入ってそれでは我が国が受け入れましょうと言う事に成る。これがどのようなメッセージになるのか日本の首相には理解出来ないのだ。現在アメリカは、これまでの政策を根本から見直し、新しい秩序を創り上げようとしている。恐らくこれに共感できる国際的パートナーシップを、現在求めているところではないかと思のだ。そのためには何よりもまず、信頼のおける人格が求められるに違いない。というのも前回のトランプ政権でも多数の裏切りにより、大統領は大きな痛手を負ってきたからだ。そのため途中で人を裏切るようなことをする人は当然ここから弾かれてしまっても仕方がない。このことを理解せずに表面的なディールでことを収めようとすることは、あまりにも浅はかな行為で、このような歴史的場面において、日本の汚点に感じてしまう。本来であれば、このような歴史的な場面には、アメリカの取り組みに対しもっとも共感できる政治家が対応して欲しかった。要するに経済安全保障で見せた高市早苗氏の取り組みは、アメリカが目指す経済政策と最も相性が良いように感じるからだ。心ある国会議員は氏の政権擁立のために心を結集し、希望溢れる日本の実現を目指して欲しい。
さて話を関税に戻すと、この関税は自動車から鉄鋼に至るまであらゆる輸出品に対し掛けられるという、なかでも国内で付加価値税を課す国に対しては25%の関税が課されるのだという。ところで日本ではこの税を付加価値税とは言わず消費税と呼んでいる。困ったことに消費税では海外の輸出品は課税対象にならず、その分は消費税分を還付する仕組みがとられているのだ。要するに消費税は国内生産品に対する税と言う事なのだが、逆にこれを輸出品のダンピングを政府が奨励しているように取られないだろうか。とにかくこれほどの誤解を生む可能性のある消費税は、直ちに撤廃し税制を法人税一本に切り替えるべきだろう。そうでなければ25%の関税報復は経済交流の断行のようなものである。
ところで今、自動車といえば日産とホンダの経営統合の破綻が報道されたばかりで、自動車業界はまさに今泣きっ面に蜂の状況ではないだろうか。それではこれにより、これから自動車産業は斜陽を迎えるのかといえば、そうとは思えない。というのもこの業界が狂いだしたのは強硬なSDGSの推進により脱炭素化により各国が内燃機関からEV化を目指したところにある。とはいえもともとEV化には充電時間やバッテリーの安全性などのネックがあり、その問題解決に見通しの着かないまま見切り発車してしまったことに大きな問題があった。つまりそのうちこの問題は解決されるだろうと思っていたが、解決される前に、これによるトラブルが表面化してしまったと言う事だろう。結局これによるトラブルを経験したユーザーはEVは二度と乗りたくないというイメージを植え付けることとなり、その結果、EV車の中古車市場は閑古鳥が鳴く事態となってしまった。要するに今更ではあるがEVの需要は補助金によって支えられていたと言う事なのだろう。早速この事態に危機感を持った中国市場では、内燃機関の車両はほぼ車検が通らないという状況にあるらしい。
さてこの上な状況で日産は自動車自体の販売台数は伸びているにもかかわらず、何故か極端に収益が上がらないという異常事態に至ってしまった。その内訳を詳しく見てはいないが、恐らく経営の足を引っ張っている原因は、やはりEV車なのだろう、結局これをどうにかしない限り、この先どこの会社と経営統合しても収益の改善は見られないだろう。とはいえ、ここまで積み重ねたEV技術は大切な知的財産として売却し身軽になった方が経営のためになるのではないだろうか。
その後これまで培った内燃機関のブランド力を最大限生かす企業戦略を立ててはどうかと思う。というのも日産と言えばフェアレディZやスカイラインなどの人気は今でも高く中古車市場では歴代のスーパーカーと肩を並べるくらいの値段で取引されている。このことはトヨタ社のキャッチを借りればファンツードライブの需要というものがあるのかもしれない。要するに運転を楽しむという文化はこれからも廃ることはないだろうし、それを心から楽しみたいという顧客層は、これからもマニュアルミッションに拘ったり或いは高級時計のようにボンネットから覗くエンジンに心を時めかせる客層だと思う。因みに日産車と言えば私も昔、試乗会で乗ったスカイラインの乗り心地が今でも忘れられない。時々あの時のしっかりしたハンドルの触感が手に蘇ってくる。このような感覚的な喜びはこれからAIの時代になったとしても廃ることはないはずだ。しかも、これからSDGSを捨てたアメリカの自動車市場は自動車業界にとってとてつもない魅力になるはずだ。
特に寒さの厳しい北米では、トラブルの絶えないEV車に替わって、ガソリンエンジンの需要がこれから更に高まる可能性がある。また、それに加えて自動車産業にはもう一つの需要が期待できるだろう。それは世界的に進む高齢化により運転が困難な人の需要が高まるからだ。このような需要に対する自動運転の技術はますます求められるはずで、それにはスターリンクの衛星通信やAIの最先端技術が必要になる。つまりこの分野の技術が結集するアメリカは技術開発の大きなアドバンテージを持つことになるはずだ。
さて、これらはアメリカ大陸におけるモータリゼーションについてだが、日本は今後ロシアとの交流関係も改善されていく可能性がある。そうなった場合も、ますます自動車の需要は高まる可能性がある。というのもロシアにおける広大な土地を自動車が安全に走り抜けるためには、EV自動車では心もとないからだ。だとすればやはり燃料はガソリンか、EU市場まで視野に入れるとすれば水素エンジンの需要も大いに期待できる。
何の話か分からなくなってしまったが、要するに現在のアメリカは国を挙げて平和の道を歩もうとしているように見える。だとすれば日本もこの流れに沿う政治が望まれるのではないだろうか、結局、戦争が終わればそれに伴い日本経済にも明るい兆しが見えてくるはずだ。そうなるためにも、同盟国アメリカの政策に逆らう政府ではなく、この流れに協調できる日本政府の誕生が必要になる。だとすれば、戦争継続を主張するウクライナへの支援は停戦条件ありきで行うべきだろう。