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春望録

2025年3月9日gallery,ようこそ

2025年 2月26日 身分を超えた心意気

最近大河ドラマのべらぼうを視ていると、昔から日本人は何を大切に思ってきたのかがよくわかる。私がそれについて強く感じるのは身分を超えたプライドや生きることへのたくましさだ。このドラマの舞台は、当時人間の徳を現す八つの心、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、つまり八犬伝に出て来る八つの玉に象徴される徳目を、すべて失った最下層の人間たちの暮らしである。しかも当時の政治の中心である幕府の実権を握るのは、これまた金金金で有名な田沼意次である。要するにこのドラマは、これまでの歴史的偉人の登場する大河とは一線を隔しているのだ。

とはいえ私はこのドラマを視るたびに何故か心に温かいものを感じてしまう。私はそれが当時江戸で暮らす町人の心意気ではないかと思うのだ。つまり日本ではどれほど身分の卑しいとされる人間でも、現代人の心を揺さぶる何かを持っていたと言う事ではないだろうか。この当時の江戸といえば人口100万人を超える世界一の人口密集都市である。ところが当時からここに衛生状態の行き届かないスラム街のような場所があったという話は聞いたことがない、そればかりか穢多・非人という最下層の身分があったにせよ、彼らが劣悪な環境で奴隷のような扱いを受けていたという話は聞いたことがないのだ。というのも差別的な見方をされる墓堀人夫や焼き場の管理人など厳しい身分制度下にあったというよりは、町民は彼らと自然な形で交流していたように思える。因みにその様子は落語の駱駝や小金餅などに登場してくる。

なかでも私が一番驚いてしまうのは「宵越しの金はもたねぇ」という彼らのメンタルだ。つまり江戸時代においては、実際それでも何とかなってしまうと言う事なのだろう、なので頭でっかちのマルクスには「これを見ろ、つべこべ言うな」と言ってやりたい。さて忘八と呼ばれるこの最下層の暮らしを、落語は現代の我々に生き生きと伝えてくれる。と言うのもこのような遊び場をテーマにした落語の名作が目白押しなのだ。私がすぐに頭に思い浮かぶのは紺屋の高雄、そしてこのドラマにも登場する雪の瀬川などで、これらの噺はその情景描写も含めてとても美しい傑作だ。なかでも落語協会の会長を務める柳家さん喬氏の雪の瀬川は話の情景がまるで目に浮かぶようだった。というのも柳家さん喬氏の静かな語り口は、夜道から現れる瀬川の美しさと雪の静けさをまるで目に浮かぶように伝えてくれる。この噺が何代目の瀬川か分からないが、この話を聞いてドラマの瀬川を視るとその心意気にいよいよ感極まってしまうのだ。

こんな思いでこのドラマを視ていると、つくづく人生は金や肩書で決まるもんじゃないと思ってしまうのは、持たない者の僻みだろうか。

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Posted by makotoazuma