春望録
2025年 3月9日 フェアーな取引
いま世界情勢を揺るがすトランプ革命、これに対し特定の首脳は頭を抱えている。とはいえこの主張をよくよく伺えば、氏の主張は独裁主義でも帝国主義でもない。その根底にあるのは、アメリカ国民の生活をいかに守るかということと、そのためにはフェアーな立場で国際関係を見直しましょうと言う事につきる。
つまりアメリカが関税を掛ければ、相手国にも同じ税率の関税をかけて下さいと言っているのだ。とはいえそうなれば互いの国同士は経済的にはどうしても疎遠にならざるをえないことになる。ようするに、これからの経済発展にはあまり期待しない国同士と言う解釈が出来る。考え違いをしないようにしてほしいのは、これが、関税だけのディールに留まらないことだ。それは道徳や宗教的価値観とも結びつき、これから国としても、このような共通の価値観を共有できる出来るのかということにまで及んでいるからだ。要するにトランプ大統領が目指すこれからのアメリカ合衆国は、これまでの一部の投資家が利益のほとんどを独占する世界ではない。新しい価値を創造する個人がそれによる正当な報酬を得る世界なのだろう。
ところで、今朝もテレビのスイッチを入れると日曜朝にやっている情報バラエティー番組が映し出された。私はこの番組からは何かの知識も得ようとは思わないが、この番組からどれほど斜め上のコメントが飛び出してくるのか興味本位で眺めることがある。さて、今日は、いつもの期待とは裏腹に、元政治家だった弁護士コメンテーターがトランプ関税に対しては理解を示すと言って、いきなり世界各国の関税率をフリップにまとめ訴えていた。要するに世界各国の関税率を比べれば現在のアメリカは低い方で、トランプ氏のこれを是正しようという取り組みは至極当然のことだという。私は驚いてチャンネルを変えることが出来ずにこのコメンテーターの話をしばらく聞いていた。それによると、この問題を解決するためには関税の応酬ではなく、貿易の障壁となっているさまざまな規制緩和を外交のカードにするべきだと述べていた。これを聞いてやっと私はテレビのチャンネルを変えることが出来た。やはりこれからも彼らが彼らの考えを改める事はなさそうだ。というのも、彼らの発言は自分の思い付きで述べているのではないのだ。つまり彼らのような発言を繰り返す人たちには共通した思想があると言う事だ。このことはフランスのマクロン大統領もEUのフォンディアライエン氏も変わらない。要するにこの思想を受け入れれば日本も今のEUの状況になることは間違いない。
と言う事で彼の発言を分析してみると、そこには2つのすり替えがある。一つはトランプ大統領が問題にしているのは各国の付加価値税なので品目ごとの関税ではないのだ。因みにこのことについて税関のホームページを覗いてみると、そこには物品ごとの関税率が87品目も載っていた。因みに日本が恐れる自動車に対する関税は、初めの内、見つけることは出来なかった。というのも自動車という表記がどこにも記されていなかったからだ。しばらくして「ピストン式圧縮点火内燃機関」という表記を見つけた。恐らくこれが自動車に当たる言葉なのだろう、これではまるで戦時中の表記のようにも見える。とはいえ私がこの表を見て感じたのは、昔の人は日本の未来を自動車産業に託していたと言う思いだ。当然ここには関税のようなものは書かれていない。このことは当時の人が自動車産業に対し並々ならぬ自信を持っていたからだと思う。つまり来るなら来いという気概さえ感じてくるのだ。因みにこの表には、何故か戦車には12.8%の税金が掛かけられている。このようなところから関税について感じることは、関税は自国産業を如何に守っていくかという官民一体の現れのようにも感じる。このようなところに気付くにつけ、近年の企業いじめとも受取られる政府の政策は、やはり異常な事態だという思いを強く感じてしまう。
さらにもう一つのすり替えとは、これに関連してくるはずの消費税については一切触れられていないことだ。つまり、税関の87品目以外に課されている消費税は、当然アメリカ製品に対しても適用され、日本国民の購売意欲を低下させていることは間違いない。ところが一方で、日本からの輸出品に対してはこれに掛かる消費税を後から払い戻すという仕組みなのである。これではアメリカ市場に対して結局、国内製品より10%も安い製品が日本から輸出されることになってしまう。要するにこのままでは関税と言うより、国家によるダンピングと受け取られかねない。もしこのような主張がアメリカから起これば、本来日本企業に還付されてきた税金は、アメリカの消費者に支払わなければならないことにならないだろうか。こんなことを言っても、そもそも法律の専門家がこのようなことに気が付かないわけはないのだ。とはいえ、事実を知っていながら、あえて違うことを公言するのは、これもまた別の意味で罪が深いことにならないだろうか。
確かに世の中耳障りのいいことばかりでは世の中良くなるはずはないことは間違いない。そうだとすれば自分とは違う受け入れがたい意見を、最初から無いものしようということは起こり得ないはずなのだが、最近外国に不利になるような右寄りの発言はSNS上から伝わりづらくなっているという。まさか政府がこんなことに関わっているとは思いたくはないが、政府がこれに関わっていたとすれば、これは明らかな憲法違反になる。違反と言えば先ほどデーリー新潮の記事にとある政治家の豪邸が、登記簿登記されていなかったという脱税行為の記事があった。政府や国会議員がこれを見過ごしたまま寄付金の不備には言及するということは有り得ないだろう。これでは法のもとでの公平な政治家とは言えないからだ。それとも新自由主義の世界ではこんなことも許されてしまうのだろうか。このような現実を見れば今の政治は、国民につらい思いをさせながら、国民をそのまま地獄に突き落とすようなものである。我々が受け入れなければならないのは、このような事態に陥る新自由主義という地獄から一刻も早く抜け出すことだ。そのためにはまともなリーダーは誰か、誰の話がまともで的を射ているのか、我々国民はその選択を間違えてはならない。そのためには彼らが云う未来はどんなものか知る必要があるが、どうすればよいのか、それは今ある現実の日本社会をよく観察することだ。これが彼らが何十年もの時間をかけ、国民の税金をつぎ込んできた理想の社会だからだ。