春望録
2025年 3月15日 このままで何が悪いのか
一番悪いのは政治が日本国民を蔑ろにしていることだ。もしこのままの政治が続けば、円の価値は失われてしまうことに成る。というのも円を必要とする大部分は日本人であり、その日本人の生活を政治が顧みなければ誰が円を必要とするだろうか。そうなれば当然日本人が持つ創造力は失われ、高付加価値の期待できる製品を生み出すことも望めなくなるだろう。要するにそうなってしまえば、円の価値などあって無きものに等しい。
結局、現在政府の取り組みをみれば、日本人にとって希望が持てる施策を見つけることはかなり難しい。それより私が印象的意に思うのはその場の取り繕いで、中身のない妥協の産物のようなものである。更に残念なのは、ここまで政治が無残な状況になってしまえば、むしろアメリカの大統領の力を借りなければ、自国民でこの国の政治を立て直すことは出来ないのではないかと思ってしまう。因みに今回危うく国会を通過しそうになった高額医療費の上限改悪や厚生年金の企業要件撤廃などは、国民に対しあまりにも残酷で、これによりとうとう自分の党からの反発で見送りになってしまった。つまり現政府は、こんなことに国民の税金を使って審議を重ねていたのかと思うと国民には立つ瀬がない。
要するに政府は国民より財政健全化を優先するために、このような発想になるのだと思うのだが、国民生活を破壊して財政健全化が成り立つと考えること自体が足し算引き算が理解できない人達に映ってしまう。要するに円を使って生活を維持しようとする国民がいなければ、いくら日銀当座預金が増えても日本には新たな創造力や付加価値が生まれてくることはないからだ。もし本当に日本経済の復興を望むのであれば、ここを空にしてでも国民の生活水準を上げるべきだろう。そこまでして、もし国に資金が足りなくなることがあれば、それにはまた自国民に対し借用証書を書けばいいだけの話で、もしそうでは無くこのままの状態が続くとすれば、その借用証書を国内で受け取る人は早晩いなくなってしまう。そうなってしまえば今後の政府が国民のために何らかの政策を打とうにも、海外からの借金に頼らざるを得ない状態になり。そのことはつまり日本国民が海外資本に隷属するしかなくなることなのである。
因みに、先ほどのような年金制度改革がまかり通れば、現在ようやく人手を遣り繰りして生き残っている零細企業も厚生年金の負担により、いまでさえぎりぎりのコストでやりくりしている零細企業をさらなる窮地に追いやることになる。これでは消費税と変わりなく、会社が儲かっていても儲かっていなくても負担しなければならない冷酷な税と同じになる。私にはこれで日本が良くなると考える発想自体が政治家としてすでにアウトではないかと思ってしまうのだ。
というのも昔から日本人は押し並べて判官びいきと言って弱きを助け強きを挫くという心の美意識をもっていた。ところが、現在の政府がもつ発想はまるでその逆であり、強きに阿り弱きを地獄に突き落とすというありさまで、これには鬼のような残酷さを感じてしまうのだ。つまり、こんなことで、いくら財政の辻褄が合ったところで、お金を必要とする国民が滅びてしまえば、現在のお金は数字の羅列でしかなくなる。しかもこの発想をこれまで何年繰り返してきても財政健全化どころか、逆に国の予算はうなぎのぼりで、むしろいつまで国民はこんな言葉を信じ続けるのかと歯がゆい思になってしまうくらいだ。
このままでは日本経済はますます衰退し、そればかりでなく我々の魂を司る尊い良心まで失ってしまうことにならないだろうか。現在アメリカの大統領の活躍で世界は平和な世界に向かおうとしている。たった一人の常識持った政治家のお陰でどれほどの命に平和がもたらされるのか、これにならい日本も国民を大切に思うまともなトップを選ぶことによってようやくまた世界平和に貢献できるようなるはずだ。