春望録
2025年 2月7日 DEIとは
多様性、公平性、包摂性を指す言葉だそうだ。ところでいずれも立派な意味を持つ言葉にもかかわらず、トランプ政権ではこの理念を掲げる団体に対し廃止の対応を迫っている。何故かといえば分かり易い所では、昨年のパリオリンピックで起こったジェンダー問題などだが、この問題がスポーツ競技ばかりでなくアメリカにおける様々な社会問題に繋がっているからだ。このことで特にトランプ政権が問題視していたのは、未成年の子供たちが親権者の同意なく性転換手術を受けたりホルモン剤の投与を受けるなどこのようなことが教育現場で行われていたという経緯がある。このようなことを多感な成長期に受ければ取り返しのつかない傷になる可能性もある。
こればかりではない、男女雇用の公平性のために男女比の帳尻合わせを優先して組織の人事を行うことは、ロサンジェルス火災の例でもあるように、現場に大きな混乱を招く結果となった。
そして我が国の現状を見れば、可処分所得が極端に低い状態では食事に困窮する家庭が増えてしまい。ここに対する支援をテレビ広告がひっきりなしに訴えている。とはいえこんなことは30年前の日本では全く考えもしない出来事なのである。それどころか当時の税収や予算は今の状況に比べれば半分の値しかないのである。確か30年前といえば政府は緊縮財政を目指し公務員を減らし、公共投資を切り詰めてきたはずだ。そして生まれた社会インフラが舗装道路に穴が開き何の罪もない人が犠牲になっている。
そればかりではない、財政を切り詰めるだけならその分税金が減り国民生活は潤っていても不思議ではないのだが、その代わりそれを生めるように予算が付いたのは、男女共同参画のための予算8兆円であり、家庭環境が荒廃していると言って子供家庭庁は4兆円を超える予算を要求している。しかしながら、これらの取り組みは国民の理解を得るだけの成果が出ているだろうか、初めからこの政策に効果など期待できなかったのではないだろうか。もしこのようなお金が、今現在困窮する家庭に直接届いていれば、このような恥ずかしいCMが流される日本にはなっていなかったと思う。私にはこのような広告が流れる社会は、政府の無策ぶりを世間に曝しているようでとても耐えられるものではないのである。確かにトランプ政権の容赦ない効率化は、当事者以外からすれば冷酷な仕打ちに映るかもしれないが、このような政策に取り組まなければならない原因について世間は、充分理解できているのだろうか。もしいないとすれば、いまこそ世界は公平な視点でトランプ革命を考えてみる必要があるのではないだろうか。