今昔問答
2025年 5月1日 平和の鍵
それは意外なことに日本が持っているのではないだろうか。日本のどこにそれがあるのかといえば、要するに日本の政治が、これからどこに向かうかでその方向が決まってしまうと言う事だ。とはいえその道も今や崖っぷちなのである。
さて平和といえば今最も注目されているのがウクライナ戦争の動向だ、この危うさはアメリカがこの先仲介から手を引くといえば、その瞬間から世界中を巻き込む戦争になることは間違いない。この点EU側のポジションを取り続ける今の政府によって、日本がロシアから敵国認定されていることに国民はどれほど気付いているだろうか。もし国民に確かな情報が伝わっていたとすれば、日本はこれほど馬鹿げた事態になってはいなかっただろう。
ところで日本に託された平和の鍵とは何か、一言で言えば環太平洋海域において非戦闘海路を開くと言う事だ。ではそれを何故日本に求めるのかといえば、これは地政学的宿命と言わざる負えない。とはいえウクライナ戦争は日本にとって地球の裏側の話に違いないのだが、日本の前政権はアメリカ、EUと共同してロシアに経済制裁を加えてしまった。そればかりか武器輸出3原則を無視して武器まで輸出している状態なのだ。つまり戦争になれば武器を生産する国民が爆撃を受けても仕方ないというのであれば、ここに武器を輸出する国もまた武力攻撃を受けて当然という理屈にならないだろうか。恐らく日本国民のほとんどがこのことを知らずに、ロシアが一方的に日本を核兵器の標的にしていると非難しているに違いない。
私はこのような事態を日本が控えることで、ウクライナ戦争の永続的な停戦交渉のカードになり得ると考えている。その根拠はウラジオストクで開催されたロシアの東方経済フォーラムにある。これによるとロシアは東アジア戦略への投資を3倍に増やすというのだ。このようなことが2年以上前からウクライナ戦争のさなかでも盛んにアピールされていた。しかしながらウラジオストクといえば、その目の前に日本が楔のように立ちはだかっている。と言う事はロシアにとってアジア進出の鍵は日本と手を結ぶか、或いは半島ごと味方につけるかの選択になる。そのように考えれば今回の半島における大統領選はロシアにとっても重大な意味を持っている。
要するにそもそもロシアの経済発展のことを考えれば、ロシアは日本と手を組むことが理想なのに違いない。つまりEUがこのままロシアとの対立を強めていくとすれば、ロシアは経済発展の道をいよいよ東アジアに強く求めてくるに違いないからだ。とはいえここでその大きな障壁となるのが日米安保の問題だろう、このことは以前ロシアと親密な関係があった安倍政権でも乗り越えることが出来なかった壁だ。というのも故安倍首相が2十数回に渡り交渉を重ねていた領土問題もこれにより水泡に帰してしまった歴史がある。
ここでもし日本が日米安保を見直すとすれば、当然日本国憲法改正が問題になる。ちなみに現憲法により交戦権や軍法を持たないまま武力行使に及べば、滋賀県の県議会院のような発言が出てしまうのは明らかだろう。このような発言が無くならないのも、現実に向き合わない政治家の怠慢のように感じる。だとすれば政治家はもっと言葉の重みに敏感になるべきだと思うが、ポリコレには従順でも自分らのために命も顧みない人たちを罵られたままで平気なのかと思う。
さてこれにより日本が独立した場合、何から何を護るかという問題になる。現在ゲリラ戦やそれに伴う局地戦が頻発しているにも拘らず先頃レンジャー部隊の訓練中止が話題になっていた。この理由を事故が頻発したためと説明しているが、そもそも訓練とは事故を起こさないためのものではなかっただろうか。また現在関税問題と並行して防衛問題も検討すべきとは思うが現在の政府では、アメリカとしてもお互い腹を割って軍事機密を共有できる状態にない。要するに何を言いたいかといえば、このような基本的戦略も曖昧なまま装備品の交渉や予算を検討しても無駄にならないだろうか。つまりこれから日本が独自でシーレーンを守りますと言えば各地のドックはいきなり建造ラッシュになりかねないのだ。結局思いやり予算云々の前に自分たちの防衛戦略を整えておくことが先だろう。
と言う事は、これを可能に出来る人材は憲法改正についてはぶれない見識を持ち、しかもアメリカとは確りとした信頼関係を築ける人材と言う事に成る。しかもこのような綱渡りを可能に思えるのは、遠い未来のことではなく今のトランプ政権下でしかありえないと私は思っている。だとすればこれをぶれずに実現させために、これまでの政党や派閥に縛られた選挙を考えていては絶対に成し得ないだろう。むしろ小異を棄て大道を見据える人材を政権に結集できなければ、このようなことはなしえない。このことはトランプ政権が、徹底的に個人の信用に重きをおいて人事を行っていることからもはっきりしている。今のような候補者による足の引っ張り合いと潰し合いを繰り返していては、これからも国民の視線はさらに政治から離れてしまうに違いない。個人の主張も大切だが、国政にその政策をどのように反映させるかが本当に国民が期待するところではないだろうか。