今昔問答
2025年 5月30日 ステルスの罠
ステルスといえば最近の最先端軍事技術には、相手に探知されない為の技術がふんだんに盛り込まれている。確かにこの技術を使えば武器が直接破壊されることは避けられるので、生存の可能性つまり戦闘に勝利する可能性は高まる。とはいえこのことは武器同士をならべてどちらが強いかを比べているに過ぎない。ところが武器の使用が起こるのは戦争状態を意味するので、武器が生き残っても国の勝利とは言えない。
結局相手の武器が見えなければ、相手国はこれを黙って見過ごすのだろうかという問題になる。つまり攻撃してくる相手が見えないのであれば、見えてる敵を攻撃しましょうとはならないだろうか、つまり都市攻撃を含めた総力戦という考えだ。残念ながら戦闘がドローンやミサイル攻撃が増えるたび市民の犠牲が増えているのだ。
ところでステルス兵器といえば近代的デザインの軍艦や戦闘機を思い浮かべてしまうが、その他にも移動可能な長距離砲やミサイルも、これを前提にした兵器と言える。つまり先頃ドイツの首相が発表した長距離射程の武器使用制限解除は、これにより市民の犠牲も厭わないという発言に変わりが無い。
ステルス兵器といえば日本の歴史にも、いまだに世界から非難を浴びる悲しい戦闘がある。というのも、大東亜戦争の切っ掛けとなった攻城戦では相当数の敵国兵が軍服を脱ぎ捨て、市民に紛れて戦闘に加わっていたという。要するに善良な市民に多数のステルス兵が紛れていたのだ。この時の日本軍はこれを見せしめとして捕虜とはせず処刑した事実がある。とはいえこのことは当時の国際法でも識別不能の戦闘 員は軍人とみなさずスパイと同罪の極刑が認められていた。がしかしこの刑の執行に携わった兵隊の心中を思うと更に悲しい思いになる。というのも、相手は市民とまるで見分けがつかない身なりをしているからだ。このような悲劇は軍事という名の下での出来事としなければ、兵士の受けた心の傷は癒えることがないように思う。私が国防軍の創設を願うのは、このような極限状態のことを思うからだ。
ところで、朝日新聞の記事によると昨日安倍昭恵夫人がモスクワでロシアのプーチン大統領と面会されたという。在りし日を偲んでも故安倍元首相は首相として熱心に世界平和のためバランス外交に取り組まれていたと思う。このことは一国の平和は世界の平和があってこそ保たれるという外交哲学に他ならないだろう。これを文章にしてしまえばこれだけのことだが、この実現には軍事だけに留まらず、経済や国の尊厳を両立させながらの話で、これを実行するにあたっては清濁併せ呑む度量が必要になるだろう。
さてこのような状況下で改めて安倍氏が思い描いていた理想世界を想像してみると、その中心になる思いは世界平和のためのバランス外交と日本の主権回復に尽きると思う。つまり日本が独立国として世界秩序維持にいかに関わるかと言う事だ。このことを安倍氏は段階を踏み着実に前に進めていたところで残念ながら志半ばの感が拭えない。しかもこの状態がかえって現在の国防について深刻な状態を招いてしまっているのだ。幸いにもすんでのところでアメリカ大統領交代によりこの危機は免れることが出来たが、あのままの流れが続いていたらと思うとゾッとする
要するに、結局のところアメリカ軍駐留のまま日本が国際平和維持に貢献することには限界があるのだ。つまり、改憲により自衛隊明記を謳うだけでは、これに対応することは出来ないのだ。もっと具体的に言えばここでの軍事行動とは、あくまでも日本のライフラインを護るための行動に限られる。言い換えれば、日本国民の生存権を護るための軍事行動であり、結局これは正当防衛の範囲を超えるものではない。つまり戦闘行為に至っては戦線の拡大を極力防げるよう、最初から局所的勝利に特化した防衛構想が望まれるのだ。このような整備が整った上で、ようやく開かれたインド太平洋構想に日本が貢献を果たすことが出来るのではないだろうか。
さてこれを可能にする一番の問題は、これを託すことが出来る人材についてだ。つまり軍事と経済をバランスさせながら国民目線で地道に法制化を進めることが出来る人材、今の私には一人しか思い浮かばないのだがどうだろうか。