日々これ切実
2025年 8月27日 奴隷を拒んだ日本人
BuzzFeed Japanの記事によるとアメリカの教育的アニメ番組において、コロンブスの「奴隷の方が 殺されるよりマシ」というセリフがあり、それに対するコメントが寄せられているという。この話題が世界中に配信されている理由はトランプ政権が公共放送にたいする予算削減を発表したためだ。では何故支援が打ち切られるのかにはついてはここでは触れないことにする。
とはいえ、奴隷といえばアジア諸国でも無関心ではいられない。というのも大東亜戦争が終わるまでアジアは植民地支配が続いていたからだ。恐らくコロンブスがアメリカ大陸をインドと勘違いしていなければ、このセリフに日本が含まれていた可能性もある。ところが偶然アメリカ大陸発見から50年後たまたま種子島に流れ着いたポルトガル人が、日本に銃という兵器を伝えてしまった。その結果、それから30年もたたないうちに日本は、見よう見まねで銃を量産し、あっという間に西洋に引けを取らない軍事大国になっていた。しかも日本は外国人宣教師には敵意むき出しの豊臣秀吉により天下は統一されてしまった。しかも黙っていればお隣の大帝国にまでちょっかいを出そうという勢いなのである。このためアフリカ大陸、南米大陸、中央アジアにまで無双の軍事力を見せつけていた西洋文明が小さな島国に思いもよらぬ足止めを食ってしまった。
ここで私が何を言いたいのかといえば、先人の思い一つで人の歴史は変わってしまうということだ。とはいえ私は奴隷というものがどのようなものか分からないが、それは想像するだけでも気が滅入るほどの人生だ。恐らくそれは目が覚めた瞬間から始まる苦痛の連続に違いない。例えば、誰に気兼ねなく自分の頭で自由に物を考えたり、仲間同士で集まり喜びを分かち合うったり、ましてや色恋などの有り得ない世界に違いない。
つまり、我々の今の自由な暮らしがあるのも、先人がそのような事の起こらないよう、身を挺して防いでくれたおかげなのである。恐らくこのようなことを書けば、野蛮なポピュリズムなどと言って訳の分からないレッテルを張られてしまいそうだが、我々日本人の先人はそのような非難も厭わず戦ってくれたのではないだろうか。きっと自分の命が奪われる恐怖よりも、子孫の未来に対する希望を守ってくれたのである。その思いに散った魂が今も靖国神社に集っている。