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2025年12月6日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 12月6日 破滅の抑止力

戦争抑止力としてまことしやかに期待される核兵器だが、はたして核兵器は本当に戦争抑止になるのか。この議論は「死後の世界は本当に有るのか」という議論と良く似ている。結局最後は死んでみなけりゃし分からないと言う落ちになるからだ。とはいえこの議論を私は現実を詳細に見てみれば議論するまでもないと思っている。その例として朝鮮戦争、ベトナム戦争やアフガニスタン、或いは現在のイスラエル、ハマス戦争がはっきりした結論を出していると思うからだ。というのもいずれの戦争も一方は呆れるほど核兵器を保有しながら、しかも通常戦力だけを比べても比較にならないほどの戦力差がある。この状況でも核兵器の使用がないのは、背後にいる核保有国に配慮しているためだとしているが、戦争の抑止が核保有に繋がらないことに変わりない。

しかもこの保有に掛かる費用は、開発費も含めれば通常兵器の保有とほとんど変わらないのである。実際これが有効になるまで数を揃えるとすれば相手国の脅威をすべて排除できるだけの数、保有することが必要になる。さらに、核戦争に成った場合の勝利条件を考えれば、結局どちらの国民が最後まで生き残れるのかという極端な勝利条件しか残されていない。

さてこれほど狂った兵器なのにもかかわらず、再びこの脅威が人類に禍をもたらそうとしている。というのも12月2日モスクワ発、ロイターの報道によれば、ウクライナ和平案について米政権のウィットコフ中東担当特使とジャレッド・クシュナー氏はモスクワのクレムリン(ロシア大統領府)でプーチン大統領と会談した。この会談は大変和やかに進められ、トランプ大統領は有意義な会談だったと述べられている。しかしながら和平案の詳細については明らかにされていない。とはいえ、この会談で和平案が決裂した場合のロシアの対応について、プーチン大統領が語った内容は深刻だ。この発言について、この記事を切り取ると以下になる。

欧州が取りまとめているウクライナ和平案について、欧州はロシアが和平を望んでいないと非難するためにロシアが絶対に受け入れられないと分かっている条件を提示しているとし、欧州はウクライナ戦争終結に向けたトランプ大統領の取り組みを妨害していると非難した。
その上で、欧州はロシアとの接触を断ち切ったことでウクライナ和平交渉から自らを締め出したとし、「欧州は戦争の側に立っている。(米国が提案した和平案の)変更は全て、和平プロセスを完全に阻止することだけを目的としている」と指摘。欧州が突然ロシアとの戦争を始めた場合、欧州にとって極めて短期間で終結し、交渉する相手さえも残らないと警告した。
特に気になるのはこの文章の下線の部分だ。3年かけて決着の付かない問題が欧州との戦争では短期間で終結し、交渉する相手すら残らないという。つまり核兵器使用をためらわないという発言に違いないのだが、これは単なる脅しだと言えるだろうか。因みに、私は核兵器を使った戦争とは、結局このようなやり取りになると確信している。というのも通常兵器での戦闘のように戦闘が徐々にエスカレーションしていくとは考えずらいからだ。つまり、自国の被害を最小限に留めるためには相手より早く攻撃して、相手を沈黙させるしかないのである。つまり指揮命令系統から潜水艦による攻撃まで一挙に排除するしかないのだが、現在のロシアはこの想定の確認をすべて済ませていると公表している。つまり短期間で交渉相手さえ残らないというのはこのような事を指しているだろう。ではNATO加盟国すべてがこのような攻撃の対象になっているかといえば、そんな無駄はしないはずだ。つまり核保有国同士が核戦争を想定した場合、自国民の被害を最小限にとどめる方法は、相手国を殲滅させるしかない。つまり核保有国に対しては、これはあくまでも自衛行為だという主張が正当化されてしまうのである。つまりこの攻撃は国連憲章でも認められており、核攻撃を防ぐ方法が他にないとすれば国連もこのロジックを認めざるを得ない事に成りかねない。私が核兵器の保有について反対するのにはこのような理由がある。
話を戻すと、現時点でNATOはウクライナへの和平案を認めることが自国民の安全を護ることになる。それにしてもEU各国のこの件に関する動きを見ればハンガリー首相であるオルバン氏の毅然とした態度は核兵器保有以上の頼もしさがある。このような氏の政治スタンスこそ民主主義国家の在り方そのものだろう。それに引き換え共産主義国家に呼ばれて尻尾フリフリ駆け付ける大統領は、自国民がこのような消滅の危機にあることを理解しているのだろうか。嘗てはヨーロッパのあらゆる文化の中心であった偉大な国が哀れでならない。本来であれば彼らこそ率先して自由、平等、博愛の精神を世界各国に訴えていくべき国のはずだ。