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日々これ切実

2025年9月11日ようこそ

2025年 9月11日 日本人をやっている!

昔、職業を問われた岡本太郎氏は、「自分の職業は人間です」と答えていた。これを聞くと自分もまた人間の尊厳を問われているように感じて身がしまる思いがする。さて日本人日本人といえば、また、極右のナショナリズムアピールかと思われるかもしれない。とはいえ、ナショナリズムが否定的に捉えられるのは、先の大戦でナチズムを筆頭とする全体主義への嫌悪感なのだろう。このアピールが未だに効いているのは、西側にとって一党独裁の共産主義国に対する嫌悪感が重なるからではないだろうか。

さて今更ではあるが、ナチズムの主張に民族主義という括りは、国という括りと微妙にずれるので扱いずらい。というのもWW2においてオーストリアはこの考えに基づき当然のようにドイツに併合されてしまったのだ。では本当に血統によって民族は仕切ることが出来るのかといえば80年たった今でもこの仕切りは微妙なものらしい。結局、民族は血統の違いと云うよりも、個人の信仰や文化の嗜好が民族の属性になっているように思えてならない。

ところで、同じ枢軸国の日本でも、戦争中は挙国一致というスローガンがまかり通り全体主義そのものだったことは間違いない。とはいえこのことは、総力戦という戦争形態が一般化してきた時代である以上避けられないように思える。問題は、日本人が純血主義により他民族を排斥した事実があるかどうかにあると思っている。ところが、朝ドラのマッサンでも描かれていたように、マッサンの妻、金髪のエリーは終戦まで肩身の狭い思いはしていたものの、最後まで自宅で暮らしていた。要するに鬼畜米英などと言いながら日本には強制収容所のようなものは存在していなかったのだ。

さてこのようなことを繋ぎ合わせていくと、日本人は生れ落ちると必ず日本人なのかという思いが、最近の嘆かわしい振る舞いをする日本人を目にすると頭に浮かんでしまう。最近ではひょっとして日本人とは日本人の自覚を持ち、国を愛することが出来る人達に与えられた特権ではないかとさえ思えてくるのだ。結論をいえば、日本人が日本人として最も尊ぶべきものは、日本文化であり日本の自然そのものではないだろうか。しかも有史以前の史跡を辿るだけでも何万年もの間、日本には人類が定住し、しかも大きな争いの痕跡はほとんど見られなかったという。つまり人類理想の暮らしが、ここ日本において何万年にも渡って営まれていたのだ。この様に絶えることの無い歴史の事実を目の当たりに示してくれているのが、連綿と続く日本の皇統だ。

何を言いたいのかというと日本人とは何かを考えると、肌の色や髪の色が日本人を定義づけているのではなく、日本文化を守ろうという国を愛する思いが日本人を定義づけている。日本に生まれ、日本に住み、日本人の両親の基に育っても、日本を大切に思うことが出来なければ日本人に成り得ないと私は思うのだ。今、私が職業を聞かれれば「日本人です」と答えたい。

 

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Posted by makotoazuma