日々これ切実
2025年 10月31日 天才が背負うもの

昨晩偶然天才ピアニスト10年の空白を越えての特別編を見た。偶然というのはテレビの番組表を眺めていたらスタニスラフ・ブーニン氏の名前が目に飛び込んできて、思わず視聴することを決めたからだ。ブーニン氏といえば今からちょうど40年前の第11回ショパンコンクールで優勝を果たし、当時の報道では年齢19歳の天才現ると評されセンセーショナルなデビューを果たした。中でも日本での人気は凄まじくまるでアイドル並みの人気だった。このため、厳しい評論家からは彼の演奏を嗜好する人たちは、アイドルに群がるミーハーのように言われていた。
ところが、昨日の放送を見れば2000人を収容するサントリーホールは、あの時から40年経っているにも拘らず任期は衰えるどころか満席状態であったという。因みに今年の12月開催予定の同リサイタルもすでに満席になっている。つまり40年前に氏の演奏に魅了され、氏を取り巻いた聴衆は一過性の流行に促されたのではなかったと言う事なのではないだろうか。
因みに、40年前のデビュー当時は現代のようにインターネットなどの環境もなく、氏の生い立ちについてあまり詳しい情報は得られなかった。改めて今その家系を辿れば、氏の家系はロシア帝国時代よりピアノ教育における礎を築いたと言われる。その特徴について氏が語ったのは、ピアノ演奏にしても歌うような表現と響きに対するこだわりがあるというのだ。歌といえば自分の肉体によって、もっとも直接的な感情表現が出来る。このことに関連したことなのか、氏はペダル操作を直接自分の足によって行うことに拘っている。というのも氏は持病の糖尿病が悪化し、足の切断を余儀なくされていたのだがその際も、義足により外見を保つことより、少しでも長く自分の足によってペダルを操作ができることを望んだのだという。そこまでして、エモーショナルな表現に拘るのは、いまもロシアに受け継がれている歌うように表現するというピアノ教育が、氏のアイデンティティーとなっていることの証拠だろう。
そしてもう一つの響きに対しての拘りといえば、氏がフアッツオリという素人にはあまり耳慣れないピアノメーカーを使用していることだ。というのもピアノといえば超有名なスタンウエイやドイツといえばベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなど有名だがFAZIOLIというロゴのピアノメーカーは普段なかなかお目に掛からない。しかしながらその響きを聞けば、天使の羽ような軽やかさがあり、それでいて神々の世界のように荘厳なのである。この響きを聞いて私の頭に浮んできたのは、ソナスファベールというイタリア製スピーカーだ。実際この違いを私が聞き分けているかどうかは自信ないが、このスピーカーを前にすると、どうしても氏の演奏のように離れがたい魅力を感じてしまう。
さて、この番組で印象的だったのは、氏が表現したい理想の音とそこまで至っていないと感じている氏の葛藤の様子だった。ところがテレビを覗く私などは、氏の演奏する装飾音は相変わらずの美しさであり、23年間日の目を見なかった15番雨だれからは以前の演奏にもまして響きに重厚感があるように感じた。これも私の錯覚かも知れないが、番組の中で反田恭平氏が氏から受けたレッスンについて語られていたことだが、打鍵については鍵盤を突き抜けるイメージを持つように教えられたという。恐らく物理的にどのように音を出すかより、象徴的なイメージが音楽に強い影響を与えることを伝えたかったのではないだろうか。