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2025年11月30日ようこそ

2025年 11月30日 リアルと様式美

日本彫刻の最高峰が東京へ:特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円 ...

東洋の美といえば仏像彫刻に魅せられる人も多い。中でも運慶という仏師は、大変なリアリストでもあり、単純化した様式美の天才のようでもある。写真はいま東京博物館で展示されている興福寺北円堂にある無著、世親立像と弥勒如来の像だ。これを見るとこの世の姿を留める菩薩とこの世の存在を離れた如来弥勒如来の対比が興味深い。というのも、この世の垢を脱ぎ捨てるように如来の姿は単純化されていながらその存在感は、両側に佇む菩薩像を圧倒している。それはまるで鶏と卵を同時に表現するかのようなありえない奇跡なのである。このようなリアルと単純化の流れは意外と西洋の美術史に重ねることができる。例えば古くは洞窟壁画からイコン画などの平面的な表現はギリシャ彫刻、ルネサンス絵画などの3次元を強調するリアリズム表現に向かっていく。ところが時代が進み大衆が東洋思想と出会うと、西洋の美術は再び抽象的な単純化への道を歩みだす。ところが、ここに紹介した運慶という日本の仏師は、西洋美術における時間の変遷をたった一人で表現してみせたのである。

さて、抽象化や単純化といえばこのブログのテーマでもある2次元表現とも大きく関わってくる。つまり人間は何故2次元を求めるのかというテーマだ。その効果に注目すれば2次元は精神世界に繋がる最も馴染み深い入り口と解釈することもできる。というのも太古の痕跡である洞窟壁画は、わざわざ描かれた当初から光の届かない、描くには最も困難な場所で描かれているからだ。その理由として想像されるのは、彼らがそうしなければならない理由が、そこには存在していたはずだ。

ところで、この仏像製作から500年ほど経って日本には世界を魅了する表現が誕生した。それが浮世絵という表現で中でも、歌麿の人気はいまでも止むことがない。因みにこの魅力を多元的に味わえるのが今放送されている大河ドラマのべらぼうだ。このドラマを視れば、浮世絵が従来の絵画表現とは異なる奥深さを持っていることが理解できる。つまり浮世絵には版画としての刷りの技術や、それを仕切るプロヂュースの力など、個人の技術を超えた総合芸術の側面があることを理解できる。以前私も美術館などで歌麿などの肉筆画を鑑賞する機会があったが、浮世絵版画にある明快さとはまるで異なっていた。

それにしても、日本では今でも歌麿といえば春画の頂点のように受け取られる感もあり、前述の仏像表現と比べれば俗も俗、ポルノを公の場で称賛するような微妙な側面がある。つまり現代の道徳観と以前の日本人とは道徳心にかなりの隔たりがある。とはいえこのようなジレンマに陥る事こそ日本文化を色眼鏡で覗いている証拠になる。話が脱線してしまったが、日本の美意識は古来よりリアルと様式化の狭間を揺れ動き、この様式美をこよなく愛する傾向にある。つまりその傾向とは漫画やアニメで描かれる単純化した線描の世界であり、これを好み、この世界に埋没しようとする推し活の人々だ。

 

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Posted by makotoazuma