日々これ切実
2025年 12月3日 国宝という映画

国宝とは今年、歴代最高収益となった邦画のタイトルで吉田修一氏の小説を基にした映画の事だ。恥ずかしい話、私はあまりにも世間に疎いために、映画館でこの映画を観た昨日まで、この映画が歌舞伎の世界を描いた作品だとは知らなかった。つまり私にとってこの国宝人気は日本国民が自国文化の重要性に目覚めたからだと信じて疑わなかったのである。
なので、私は映画館の座席に腰掛けると、いずれ大画面に高精細の国宝が映し出されるのを心待ちにしていた。これはネタバレになるかもしれないが、映画の最初に登場する新年会の場面でさえ、別な映画の予告編だと思っていたくらいなのだ。つまり私の頭の中では日曜美術館さながら東博に馴染み深い有形の国宝が、ドキュメンタリーで描かれているものだと思い込んでいたのだ。
残念ながら私のこのような頓珍漢はすっかり期待を裏切られてしまったが、スクリーンに登場した俳優陣により私は大河ドラマと朝ドラを同時に味わえるような楽しさを覚えることが出来た。それにしても吉沢亮氏と横浜流星氏のタフさと才能にはこの小説のテーマにも通じる奇跡を感じた。というのも彼らは現役で各ドラマに出演し、横浜氏は放送中の大河ドラマの主役を張っている。大河や朝ドラといえば、それだけで大忙しのはずだが、まして歌舞伎役者の役ともなれば頭で考えるより体で覚えろがこのような伝統芸能の世界だろう。これを吹き替えなしで演じたというのだからまさに奇跡なのである。
しかもこの映画がどこまで作り込まれた作品かを知れば監督がこの映画に掛けた並々ならぬ意気込みが伝わってくる。たとえば映像面では役者の毛穴に至る質感や手、首のしわ、おしろいの刷毛目まで精細な映像によって女形のリアルを観客に突きつけてくる。また、作家が黒子であった体験を強調したいのか、衣装の早変わり場面もわざわざカメラを裏側にまわしてカットを作っているのだ。そこには黒子が衣装のしつけを手際よく外す様子やすかさず裾を直すところなど黒子の経ちまわる様子が実にこまやかに描き出されている。特に役者が着付け師に「ハイ」と言って合図を送りながら身支度を整えていく様子を見ていると、舞台芸術は役者一人の才能で成り立つものではない事を李相日監督は強調したいようだ。因みにこの映画、3時間を超える大作にしては長時間映画を見続けた疲労感がない。またこの映画を通して私が改めて思ったことは、古より日本人が娯楽に求めてきたものとは、人間の持つ底知れない情念の世界であり、それを表現することへの悪魔的ともいえる真剣さだ。私はこれこそ怪談好きの日本人が求めて止まないものだと思っている、それはまさに「ばけばけ」の世界なのである。