日々これ切実
2026年 2月23日 2026年天皇誕生日


今日は2686年続く天皇陛下のお誕生日という祝日だ。今日は全国的に厳しい天気と聞く、おかげさまでここ箱館は強い風には見舞われているものの、雪による被害は免れている。
ところで、今日は大変めでたい日であるが、国旗や国歌に対して未だにネガティブな印象を持つ人がいる。そんな彼らは、日本の国歌や国旗は戦争の象徴であるとして、まるで親の仇のように未だに攻撃の対象にしているのだ。呆れたことに今の日本はこんなことまで、法律で保護しなければならないようだ。確かにこれらは戦時下において日本人の意識を束ねる象徴として用いられていたのは事実だろう。とはいえ国歌や国旗がまるで戦争の象徴のように語られるのは、公平で正当なものの見方なのだろうか。まあそれほど大袈裟に考えなくても労働組合の年初に旗開きというものがある。その目立つところには組合の名前の入った真っ赤な旗が飾られているが、もしこんなところで、これに唾を吐いたりバツ印でも書いたものなら、これに憤らない組合員は居るだろうか。私はこのような場所から行為者が、無事で帰れるとは思えないのである。
おりしも昨日はオリンピックの閉会式で選手たちがオリピックの会場を後にした、この光景を日本の国民はどれほど寂しく思っているだろうか、それほど彼らに向けられた日本人の期待は、選手の肩に重く圧し掛かっていたに違いない。そのことに応えるように、競技を終えた選手が日章旗を肩にかけ、勝利の結果をアピールしていた姿は日本から見守る応援団にとって何よりうれしいメッセージだった。
因みに日章旗といえば、日本の歴史にピッタリ寄り添う極めて象徴なものである。その謂れを辿れば聖徳太子の認めた日出国というイメージに繋がるらしい。つまりこれが日本が国家として初めて海外に送った正式なイメージなのだという。これを歴史の一部から切り離し逆恨みのようなイメージをこれらに刷り込むのは、まともに文化と向き合う人の行為とは思えないのである。もしどうしても個人的にそう思うというのであれば、その時は少なくとも教育者という肩書は外すべきだろう。つまりこのような公平な見方が出来なければ、日本の未来を担う子供たちに対し公平性を欠く偏った強迫観念を植え付けかねないのである。
折角のめでたい日に愚痴ばかりになってしまったが、要するに他国では国旗や国歌を大切に思うことは可笑しなことでも何でもない、寧ろこれを蔑ろにする行為の方が異常であり、社会に暮らす人間としてどうかと思うのだ。
「風すさぶ 坂に向かいて 仰ぎ見る 我が大君の つつがなしやと」