日々これ切実
2026年 2月27日 画家の目線

先日の日曜美術館で放送50周年を記念する特番があった。「わたしと熊谷守一 2026」というタイトルで、これまで日本を代表する様々な画家が取り上げられる中で今回はデザイナーの皆川明氏による熊谷守一の紹介だった。熊谷守一氏といえば以前「もりのいる場所」という山崎努氏の主演する映画をこのブログでも触れた記憶がある。その映画で特に印象深かったシーンは、妻役の樹木希林に「行ってくる」といって縁側から庭に降り立つと、その後姿を妻は「お気をつけて」と見送っていた。そのままどこに行くのかと思えば、自宅に自分の手で造成した池の周りに腰をおろし、日が暮れるまで眺めているというシーンだった。これが日常ではなく、気まぐれのようなものであれば、単なる画家の奇行として済ませて構わないかもしれないが、画家はこのような行為を当たり前の日課として続けていたという。
ところで、熊谷守一が降り立つこの庭とは、池袋駅近くにある邸宅の30坪に満たない庭のことだ。そのうっそうと草木が茂る池のほとりに腰を下ろしたまま、朝から晩まで来る日も来る日も居続ける行為は、常識という視点で暮らす我々の感性とは一線を画す。とはいえ昆虫学者のように熊谷守一が昆虫の世界に興味を持ち、これを学術的に研究していたと言う事でもない。
だからといって本業である絵画のモチーフにする為に、スケッチ帳を片手に蟻を追いかけまわしていたという風でもないのだ。にも拘らず蟻のモチーフは、氏の私設美術館のイメージキャラクターに使われるほど多く登場してくる。では一体熊谷守一は蟻の何に、それほど興味を引かれていたのだろう。
これは私の想像でしかないが、氏はここに宇宙の有り様を視ていたのではないかと想像している。何を言いたいかというと蟻のモチーフは単なる昆虫を表現しているのではなく、それを生じさせている大いなる意志を感じ取っていたのではないだろうか。因みに蟻といえば、以前私は、ハキリアリが仲間の蟻に対し、外科手術さながらの医療行為を行っている研究動画を視たことがある。その動画を視ると、その行為は患者の蟻が回復する姿を想像できなければ、起こり得ない行為なのである。こうなると人類の叡智などと言うものは、果たして人間独自に備わっているものなのか怪しくなってくるのだ。逆に見ればそのような叡智は人体の外に存在していると考えた方が納得がいく。つまり、どれだけ些細な蟻の活動であってもその様子は、まるで大いなる叡智の発露ではないかと思えてならないのである。
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