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2025年7月28日ようこそ

2025年 6月10日 民営化と会社法

2005年第3次小泉内閣誕生と共に様々な改革が進められた。有名なところで郵政民営化だがその影で日本道路公団も理由は分からないが4社に分割され直ちに民営化されてしまった。そしてその影で会社法の設立という法律が成立している。この法律は、それまで会社設立にあたって企業に課せられていた様々な制約が取り払われ、これこそ規制緩和を象徴する取り組みに見える。

具体的に言えばこの法律が出来るまで、企業設立には定められた資本金が必要だった。ところがこの法律によりどの形態の会社も基本1円の資本金があれば設立可能となった。このため現在設立されるほとんどの会社が株式会社になっている。問題は株式会社は誰の物と聞かれれば世界の常識として資本家の物となることだ。つまり企業が一定の目ぼしい成果を上げ信用が得られるようになれば株式市場への上場が許され資本金が勝手に集まる一方、これにより利益の分配や経営方針など様々な投資家の影響を受けることになる。極端なことを言えば50%以上の株式を保有すれば株式総会で自分の意見が全てとおることになり、実質の支配と変わらなくなる。ということなので、もともとの公共機関民営化時には、そもそもが税金投入で設立された企業なので政府が一定割合株式保有することを義務化されていた。近年そのタガが次々外されようとしてきたのだが、通信網の重要インフラを保有するNTT株式などは国防に直結している。

気を付けなければならないのは、そもそもなぜ国がお金を出してまでそのような仕組みを作ったのかを理解しないまま、組織を解体しろというのは大変危険な事であり、そのような煽動に載ってしまった結果が国民の窮乏に繋がっているのではないだろうか。つまり会社法人の株式化は直接お金が集まるメリットがある一方で、よほどしっかりした経営者でなければ、様々な思惑により会社の未来が影響を受ける危険性もあるのである。ここで私が心配しているのは、協同組合自体を会社法人化してしまうのではないかという危機感を持っているからだ。というのも私の思いではあるが、農業は生産というより人間が天の恵みを直接体感できる行為と位置付けている。そのため農業林業漁業が地域の暮らしを支え、そこに生まれる文化を育んでいくものだと思っているからだ。先日、国宝當麻曼荼羅を所蔵する當麻寺の聖衆来迎練供養会式が番組で紹介されていた。なんでも鎌倉時代から続く行事だというのだが、とうとうこの伝統を受け継ぐことが出来ない地域が出てしまったという。

このことは近年地方の生活に限界が近づいている証拠ではないかと思うのだ。つまり1300年近く彼らの生活を支えてきた農業もしくは林業が衰退し、地域のコミュニティーが破壊されていると言う事なのではないだろうか。このようなことを見れば農業を生産コストだけで考えることは大変危険なことのように感じる。このようなことを見れば政府がコメ市場に介入し値段を決めるという発想よりも、まづ農家の生活を安定させるために農業従事者に対してまとまった額の生活保障を行うべきだろう。そのような環境が整ったうえで世界一安全性の高い美味しい米を生産してもらい高い付加価値によって海外製品との差別化を図ることが出来る。そうなれば米の値段は更に高騰してしまうに違いないが、それに困らないほどの収入が国民にあればいいだけの話なのである。これなしに米の価格を強制的に下げ続ければ米農家は廃業に追い込まれ、当然地域行政もままならず、ついには海外資本に身売りするより無くなってしまうのだ。つまり現在すでにこの悪循環は始まっているにも拘らず、今の政府はそのことにまるで考えが及ばないようだ。

残念ながら今聞こえてくる一時金の給付は財源や支給事態に掛かる手間を考えれば、このような政策に国民は何を期待すればいいのか、まるで見えてこない。しかも減税に対しては聞く耳すら持たず消費税は財源がないので出来ないという。とはいえ消費税の全ては今も法人が直接国に収めている。そのため消費税を廃止してすべてを法人税としても法人の懐は少しも痛まないはずだ。しかもそうなれば企業は法人税では認められる税額控除の人件費を積極的に利用して節税につとめるので国民の収入は自ずと増えることになる。しかもこれに掛かる事務負担は個人に対する給付金の手間を考えれば無いにも等しいのだ。

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Posted by makotoazuma