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2025年11月7日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 11月7日 日本国憲法の課題

といっても私が持っている憲法の知識は小学校の教科書より危うい認識しかない。「では黙っていろ」と言われそうだが、黙っていられない理由は、私も日本国民である以上憲法に定められた規範によってその義務を負うからだ。つまり、知識があろうがなかろうがこれに従って生活することが全ての日本国民には求められている。

ところが大変困ったことにここに書かれている文章が、特定の見識を持った人間でなければ理解できないと言った場合はどうだろうか。小学校で教わる内容の文章が結局のところ社会人に成っても理解できないのでは、そもそも日本語の文章として成立しているのかという疑問だ。そうだとすれば、誰もが読んで理解できる文章に書き換えることが立法府である国会の責任と考えるのだが、公布から79年たつ現在に至るまで、ただの一度も改正が行われたことはなかった。果たしてこの憲法には表現の在り方を含めて現代社会に則した法律と言えるのだろうか。

なかでも、今日のように緊迫の度を強める世界情勢の中で日本国憲法9条に定める表現は正しい表現と言えるだろうか。この文章を読んで日本の保有する自衛隊の存在を正しく理解できる小学生は居るだろうか、おそらく社会人を含めほとんどの日本人はこれを違憲と解釈しているはずだ。実際日本の最高裁でも違憲ではあるが法律上問題ないとしている。要するに最高裁であっても判断がつかない状態なのだ。

しかも、このことが深刻なのは国家として最も大切な国民の命は国家が護るという根拠がここには明記されていない。つまり世界の常識であれば国家の主権や国民の財産は国軍により護られることが当たり前なのである。ところが日本国憲法9条には日本国民以外の国民は皆善良な国民なので、彼らを信じていれば彼らが日本人に危害を加えるはずがないというのが、憲法9条の骨子なのだ。確かに日本は敗戦から80年の間、他国とは一度も戦火を交えたことがない。ではこのことをもって憲法9条の正しさを証明したことになるだろうか。

そうではないことは何故自衛隊が日本に存在し予算を増やさなければならないのか、はたまた日米安全保障条約により現在でもアメリカ軍が日本国内に基地を置いているのは何故か、これらの存在こそ、日本が80年間他国と戦火を交えなかった理由なのではないだろうか。

さて、ここにきて日本は、これまでの狂った常識の見直しが緊急で迫られている。というのはアメリカがこれまでの海外戦略を大きく見直そうとしているからだ。このことは嘉手納基地に常時配備されていた戦闘機の状況や海兵隊の装備品の状況などを見れば明らかで、実際トランプ大統領が掲げるアメリカファーストは自国民の命は自国民が護ることを象徴している。

このような、ことから憲法9条の見直しは急務と思われるが、これについて改憲を訴えている右派政党の中でもなかなか足並みが揃わないように感じる、最近では特に緊急事態条項がセットでは有事の際に選挙が見送られ、戦争がいつまでも継続されるのではないかとの懸念がある。私も前首相が国民の支持率が低下し続けているにも拘らず、政権にしがみ付いている様子を見ていると、戦争中のどこかの国とリンクして憲法改正とセットというのはどうかと思っていたが、これまでの震災による復興が進まないところを見れば、強力な政府の介入は必要なことのようにも思われる。とはいえこんなことも信頼のおける政府であることが最も重要で、これを示す支持率の定義や確認方法など明確な基準が必要だ。

さて、憲法改正といえばもう一つ大事なことが、日本という国の在り方だ。何を言いたいかといえば日本という国の独自性についてである。こんなことを普段声高に話す人も珍しいと思うが、世界の歴史を眺めれば、我々日本人は人類史に稀な歴史を持っている。それが皇統という存在で、国の誕生から現在に至るまで日本はこの存在と共にあった。このことは権力による支配や民意に選ばれた代表による統治ではない。要するに日本人はこの存在を日本の歴史として受け入れ尊崇の念をもって敬い支えてきた。又天皇は国民をオオミタカラとして慈しまれてきたのである。このようなお互いの立場を思いやる心が国家を形作ってきた歴史を他に見つけることは困難だろう。

ところが、このような人類にとって無形の遺産と思える皇統に対し、その価値を奪おうとする動きがみられる。というのも昨今の政治家やマスコミ、労働組合など知ってか知らずか選択的夫婦別姓やLGBTQなどの法制化を進めているが、これが民意だと言う事はどうしても受け入れがたい。しかも夫婦性の問題は法律の整備によってなんら社会的影響が起こらない状況になっているとこれに取り組んできた高市首相自ら発言しておられる。では一体何故、これほど納得のいかないことに彼らは国費を費やそうとするのか、このことが問題なのである。確かに性同一性障害という悩みを抱える人達が最近増えていることも事実だが、これについて法律で理解を求めることが、どのように国益に繋がるのか理解できないのである。こんなことの法制化に取り組むより、ユニセフのCMによれば飢えに苦しむ子供たちに出来る限りの支援をすることが国民の生存権を護る事に成るのではないだろうか。

このようなことを突き詰めていくと神代から続く皇統や日本の神話に描かれる男女性の在り方、または男女の記載が求められる日本の戸籍制度など、彼らの働きにより日本のたぐいまれな歴史が捻じ曲げられてしまうのではないかと心配になる。因みにこのようなポリコレ運動により日本の貴重なアニメが公共の電波から排除され失われつつある。みなしごハッチ、タイガーマスクの復活を祈る。火垂るの墓は悲しくても受け入れろ!