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2025年11月9日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 11月9日 価値を生み続けなければ

お金の価値もなくなる。これを首相や財務大臣の言葉にすると経済成長が何よりも大切だという言葉になる。ではこの価値とは何かといえば様々な捉え方があるものの、財務省的に言えば利益から仕入れ値を引いた残りを付加価値、そしてこれに10%をかければ消費税になる。

とはいえもっと馴染みやすい表現にすると、価値は魅力と言う言葉に置き換えることができる。例えば芸能人が講演会などを催せば自ずと人は集まりだす。反対に私がそんなことをすれば会場費の負担だけ負わされる羽目になる。ところで、この話で見落としていけないのが、魅力のある芸能人よりも、その魅力を感じて集うギャラリーの存在だ。つまり、ギャラリーが全くいない環境では私と芸能人の差は無くなってしまうからだ。さてこれを現実の通貨に当てはめてみるとどうだろうか、日本人が普段使うお金は円である。ではアメリカ人はといえばもちろんUSドルだ。ここで話を整理するとお金の魅力を決めるのはそれを求める人々になる。つまり、その通貨を求める人がいなくなれば、その通貨は直ちにその価値を失う事に成ってしまうのだ。だからお金というものは独り占めしても意味がないのである。

つまり、お金の価値を維持すると言う事は、お金の需要をどのように維持していくかという問題にもなる。このような理由から経済成長を続けるという意味の大切さが理解できる。

さて、現在の政府はこのような方針を明確にし予算案の作成に臨まれると思うのだが、先日の代表質問ではある政党が、現政権の目指す積極財政はプライマリーバランスを蔑ろにする政策であり、これにより国の財政に悪影響が及ぶとの発言があった。このような横文字を使うと自分が賢くなったようで自己満足に浸ってしまうが、要するに予算の収支について債券発行ありきの予算は国の財政を悪化させると考えているらしい。これについては私もこれまでの人生で、安易な借金により生活が立ち行かなくなった人たちを、何人も見てきたのでこのような堅実な考え方を頭から否定しようとは思わない。だとすれば、予算編成にあたっては、支出の無駄について真っ先にメスを入れるべきではなかっただろうか。というのも、年初の予算編成では与野党一致で2025年の予算は成立したはずだ。この予算は115兆円に及び史上最高額を更新している。ところが質問を受けている所信表明では、この支出についても鋭いメスが入れられた。例えば今年度の予算にあるその他で括られている予算は20兆円を超えているが、この中には子供家庭庁の予算や男女共同参画への対策費、或いは現在自然破壊で問題にされているエネルギー関連の予算なども含まれているのだ。このような支出を見直せば28兆円を超える国債発行はもっと低く抑えられていた可能性がある。

さらに言えばこのプライマリーバランスという考え方にも冷静な検証が必要なのではないだろうか。というのは、この言葉は国家予算の一般会計について使われているように感じるので、これだけで国の財政を語ることは出来ないだろうと思う。というのも前首相の日本はギリシャより財政の状態がよろしくないと回答しているのはこのような見方によるからだ。一般的に年度の収支を厳密に検証するとすれば、バランスシートという簿記の検証方法を取り入れなければ、正しい国の赤字黒字は見えてこない。たとえばサラリーマンの小遣いは月平均4万円だそうだが、年にすると48万円、おそらくサラリーマンの財布の中を通り過ぎるお金は、1年を通してせいぜいこれぐらいのものだろう。たとえ財布にクレッジトカードを忍ばしていても、利用限度が収入の4%までだったり、不動産購入以外の決済は出来なかったらクレジットカードの出番は限られる。つまりサラリーマンの財布の中身を覗いても、サラリーマンの暮らし向きを判断することはできない。ではこのサラリーマンの銀行口座を覗くとどうだろうか。ひょっとすれば住宅や自動車のローン、或いは逆に給与以外の資産運用でガッポリ設けている方も居られるかもしれない。このように保有している資産や借金まで含めた評価がバランスシートの考え方である。ようするに具体的な国の財政を語るためには、特別会計もいれての話をしなければ、国の借金など一般人に理解できるはずがない。つまりこれを考慮せずに、ウクライナ支援や関税交渉における投資の資金はどこから湧いてきたのかという話になる。

話がかなりズレてしまったが、要するに円の価値を維持すると言う事は、日本国民が安全で文化的な暮らしをしていなければ、国際社会に対しより良い価値を生み出していくことなど出来るはずがない。だとすれば今最も政治に必要なことは借金してでも国民を豊かにし、日本国民全員が豊かさと自らの繫栄を享受できることだ。結局これまでの政治のように一時の労働力を外国人に求めてその場を取り繕っても、彼らが自国に戻れば、早晩日本円の価値は危ういものになってしまうはずだ。