盾つく虫も好き好き
2025年 11月14日 パワーバランス

地図で日本を眺めると、日本は拮抗する東西陣営に挟まれた畳の縁のようにも見える。或いは世界地図をぎゅっと圧縮すると日本は世界の大陸と相似形になっているという驚きの見方も出来るそうだ。いずれにしても、もし日本が海に囲まれていなければ常に戦の脅威に怯えなければならない位置にある。そんな際どい位置にある日本の歴史は、不思議なことに世界中見回してもこれほど安定している国は無い。というのも、紀元前660年から現在に伝わる皇統は今年で2685年を数え、世界史にも稀に見る存在となっている。しかもその権威はどれほど強力な武力に支えられてきたのかといえば、鎌倉幕府が誕生するまでは検非違使という軍事よりも治安維持を目的にした警察ぐらいの組織でしかない。このことは天皇がお住まいになられる御所の造り事態が、視線を遮る塀以外実戦を想定した造りではないことからわかる。要するにこのことは善良な臣民の支えにより皇統が維持されてきたことに他ならない。確かにこのようなことが現実としてあり得る日本では、お互いの信頼により平和が保たれるという世界から見れば呑気に映る日本国憲法も否定できないのである。
とはいえ、これも日本という特殊な環境で起こる奇跡と考えた方が良いのかもしれない。というのもこれを他国の歴史に当てはめるととてもこのような穏やかな解釈ではいられないからだ。例えば国という概念を棄てた民族は世界史において筆舌に尽くしがたい不幸を味わってきた、いわゆるユダヤ人や、或いはそもそも領土を持たずに暮らしてきたパレスチナ人など民族は、現在に至るまで非常に過酷な状況にある。とはいえこれが日本を除いた世界の常識なのである。要するに国家というコミュニティーを棄てた民族はどれほど個人に過酷な状況をもたらすのか学ぶ必要があるだろう。
ここで私が何を言いたいかといえば、世界史の中ではコミュニティーを持たず武装を棄てた民族の運命は過酷であるという一点だ。だとすれば、そのコミュニティーを維持するための武装は止む負えないだろうと考えている。とはいえ今回はどの程度の武装がコミュニティーを維持するために必要かと言う事も合わせて考えなければ際限のない軍拡合戦になる。
このことで今でもよく言われることだが、ソビエトの崩壊はこの軍拡合戦にソビエトが負けたためだと言われる。確かにひと頃港に停泊中のソビエト原潜が電気料の支払いが滞り電気を止められるということが現実となった。この事で原潜は炉心の冷却が止まりメルトダウンを起こすことで周辺地域に深刻な環境破壊をもたらす可能性が高まったからだ。そればかりか退役となった原潜の多くが廃棄がままならず解決の見通しが立っていない。確かに就役時は電気使い放題の原潜は無類の性能を見せつけるが、使用期限が切れれば、原発同様途端に金食い虫のお荷物になる。
さらに驚いたことに昨日覗いた動画では核戦争の勝敗について識者のコメントがあった。これはフランスが核兵器を配備するための口実に使われたものらしいが、フランス人は敵国に被害を負わせることが出来れば国家の消滅も厭わないそうなのである。自分は負けても相手にも相応の被害を与えることが出来れば、戦争の抑止に繋がるという考えだ。これと似た考えが日本にもある、「肉を切らせて骨を断つ」という戦法だ。ところがこの戦法は自分の被害よりも相手の被害が大きくなることを見越しての戦法だと言える。要するに自分が消滅することを前提にした戦法とは中身がまるで違う。もしここで東郷平八郎が核戦争で戦わなければならなくなった場合、核兵器の保有数が優位であれば、一刻の猶予も与えず相手の殲滅を図るに違いない。これにより相手からの攻撃を防ぐことが出来るうえ、生き残った自軍で勝利の祝杯を挙げることが可能になる。とはいえ誇り高い日本の軍人が実際には見境の無い殺りくに及ぶはずがないと私は想像している。
その根拠は第一次世界大戦で使用された毒ガス兵器の使用が第二次世界大戦ではほとんど見られなかったことでもわかる。確かに時代は塹壕戦から機動戦に移ってはいたものの市街での戦闘は各所で視られたはずだ。私はこの事を戦時における最低限の人道配慮と考えている、つまりどれほど過酷な状況であっても、或いは相手の装備がどのような状況にあったとしても人間には最終的な自制心が備わっていると考えられないだろうか。
このようなことから、はたして装備品の数が戦争抑止に役立つのかという思いがしてくる。もっと言えば軍の強さとは何かという問題がある。これについて私は戦の勝敗は生産力や輸送力で決まるという近代戦の常識は、近代日本軍の戦果に必ずしも一致していないことが多いと思っている。「敵は幾万」という歌があるが、近代日本軍が対峙した戦いはほぼこのような戦いであり、先の大戦まで日本軍は勝利を重ねてきた。それは、容易な戦いっだったのかといえば、そのいずれも相手国がこれを撃退する用意万端の所で起こった挑発により始まっている。とはいえ満州事変の切っ掛けとなった柳条湖事件については関東軍の工作となっているが、これについても諸説あるようだ。では近代日本軍はこれほど強かったのか、これに対する答えはGHQが日本で行った教育改革にその一端を垣間見ることができる。逆に言えば日本人のメンタリティーこそ彼らの脅威と映っていたのだろう。このことから言えるのは、近代日本軍が強かった理由は、驚異的なメンタリティーを持つ将兵が驚異的な戦果を残したということだ。このようなことを考えれば国軍の統帥権を我が国で持つことが国軍の戦闘力強化に繋がるのではないだろうか。パワーバランスといえばとかく装備品の話に向けられがちだが、日本の歴史が示す国軍の強さは以外にも将兵のメンタリティーにあるように思えてならない。今回政府の決定により自衛官の給与改善がみられたことは、他の何にもまして防衛力増強に貢献するのではないだろうか。