盾つく虫も好き好き
2025年 11月17日 作られた混乱

今日あたりもバラエティー番組などでは中国政府のお怒りの声がお祭りのように垂れ流がされている。しかもこの怒りは総理大臣の不用意な発言によるということにしたいようだ。このようなバカ騒ぎを目にすると、それこそお国の一大事に思われるかもしれないが、日本人としては総理大臣のこの発言もその後の行動をとっても、何故か溜飲の下がる清々しい思いになるのだ。
というのも、インバウンドで見られる観光客の目に余る不法行為はもはやお客様の粋を超えているからだ。先日国会で取り上げられた奈良のシカ問題も日本人が神代の時代から神の使いとして大切にしてきたものだ。国会の質問者は何故かこのことに関心を示さず総理大臣の立場を危うくするための揚げ足取りに躍起になっていた。少なくとの国会中継の視聴者はあの議員が、何のために国会の質疑時間を使っていたのか理解できなかったに違いない。そしてまた、この度の台湾有事についての質問も集団的自衛権の内容についてはこれまで何度も国会で議論されてきた問題にも関わらず、何故就任したばかりの総理大臣に質問しなければならなかったのか。
今日本国民が何を望んでいるのか国民側に立って政治に臨む代議士であれば言うまでもないことのはずだ。つまり組織票で選挙をすり抜けてきた経験が国民の意識とは懸け離れる原因のようにも感じる。話を国会質問の台湾有事の見解に戻すと総理大臣は台湾海峡を戦艦によって封鎖された場合と明言している。ここは日本のシーレーンが封鎖された場合と言い換える必要があったかもしれないが、食料自給率が極端に少ない日本がシーレーンこそ日本のライフラインと認識していてもおかしくない。それよりもここで総理大臣が明確な答えを示していなければ、有事の際、現場は自己判断を迫られる可能性が出て来る。このような時、判断の遅れが自分ばかりでなく周りの命も危うくする場合いもあり得るのではないだろうか。自衛隊は国防を担う身ではあるが、彼らの命を守ることも総理大臣の責任になる。有事の際にネバネバしているだけでは最高指揮官として責任を果たすことはできないだろう。このようなところを見れば彼らの推す総理大臣ではなくて本当に良かったと思う。
中国政府については、語気を荒げれば荒げるほど、彼らが人類共通の価値観である人権意識とは乖離していることが白日の下に晒される。つまり、日本政府から彼らを諭すことより、彼らが自ら気付くべきことだろう。ということで高市総理には、反日議員やマスコミの印象操作に惑わされぬよう、これからも国民に寄り添う政治を貫いてほしい。