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2025年11月19日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 11月19日 今日本に必要なもの

それは、アイデンティティーとプライドではないだろうか、なんだか哲学的な話なのだが、少なくても私はGDPを増やすことだけではないと思っている。つまり、日本人が日本に暮らして幸せを感じるために必要なものは、この国に暮らすことの誇りとその根拠が何よりも大切なことではないかと思っている。これに対し現代に生きる我々はあまりにもお金に頼り過ぎた生活になってはいないだろうか、とは言えお金の価値を蔑ろにしようと言う事ではない。ここから受ける恩恵は計り知れないものがあるが、それにしても現在のようにこれが人間の価値の全てという風潮はあまりにも人間の尊厳を虚しいものにしているように感じる。

嘗て日本人の愛した歌謡曲「男の純情」には「金もいらなきゃ名もいらぬ愛の古巣に帰ろうよ」という文句があった。戦後の歌謡曲なのだがこの歌に感じ入っていた人達は皆、戦前の教育を受け育った人達だっただろう。意外なことに今からすれば軍国主義一色の教育を受けていた彼らのアイデンティティーが愛の古巣なのだ。それに比べ、これだけ平和な言葉の氾濫する現代、お金がないのは負け組というレッテルを張られてしまう。こうして見ると私には戦前に受けた彼らの教育の方が、より人間の本質に迫っていたように感じてならない。

因みに戦前の教育といえば教育勅語が引き合いに出されるが、中身を読めば親兄弟や他人を敬って暮らすことなど、天皇自らこれを率先垂範するというお言葉であり、訓示のようなものではない。要するにここに書かれていることを要約すると「我々の存在とはどのような関わりの内に存在しているのか、これを尊び感謝して暮らすことが我々国民の幸せではないか」と諭されているように感じる。

さて今の地球上には様々な価値観を持った様々な民族が暮らしている。一様にこのような暮らしをしなければならないとは言い切れないが、国連憲章に掲げられている、個人の人権を守る精神だけは人類共通の価値観でありたいと願う。そう思えば人の命を脅かす様な発言は国際社会の規範からも相いれないものであり、これを害したものはそれなりの制裁を受けるのが当然だといえる。

ところで現在日本の首相は他国の要人から命を脅かされるという非道な脅迫に曝されている。大変残念なことに現代の日本人の中には、このような横暴に対して道理を引っ込め、これに屈しろという意見がある。そんな彼らにとってプライドなどは取るに足らないものらしい。私からすれば、彼らのように見境なく泡銭のようなインバウンドに頼ることは、あまりにも短絡的で卑屈な生き方の人たちに映っている。何故これほど卑屈な精神の人たちが日本の表舞台で息巻いているのかと思えば、彼らの生きる規範はお金でしかないのだと思えば合点がいく。

話は逸れるが、現在怒り心頭の中華人民共和国はようやく1971年に国際連合で承認された国なのだが、当時彼らの国民のほとんどは通勤に無骨な格好の自転車を使っていて、その自転車が朝の天安門広場をびっしり埋め尽くす様子が今でも記憶に残っている。しかも当時彼らは、まじめに共産主義社会を目指していたので、国民のほとんどが人民服というデザインの軍服を着ていて、頭に中華まんじゅうのような独特の帽子を被っていた。その彼らが国際舞台に飛び出し、現在の経済成長を遂げる基礎を作ったのが、今不当な非難にさらされている日本国のODAだ。というのも、共産革命に明け暮れていた当時の彼らには、外貨獲得の術など持ち合わせていなかったのだ。そんな彼らに産業技術や円借款、無償援助などありえないほどの経済協力を行ってきたのが日本国なのである。そのかいあって、その後急激な経済成長と、軍拡を行い今では周辺国に核兵器の睨みを利かす大国となった。

これにより現在アメリカに次ぐGDPを達成し得たのだが、はたして彼らの精神性はその経済成長に見合うだけの成長を遂げることが出来たのだろうか。因みに彼らの歴史は4千年を超えるとも言われ、思想の世界においてもアジア全域に大きな影響を与えてきた。中でも孔子の説いた儒学は未だに日本の道徳観に強い影響を示している。例えば先ほど紹介した教育勅語にも儒学の説く忠孝の教えが見られ、その教えの中でも特に重んじられるのが義という言葉だ。これに反して忘恩は最も忌み嫌われ人間の恥とされている。私は漫画の三国志史しか読んだことはないが、義に篤い彼らの行動には正直感動を覚えていた。さて自ら中国の文化を唯一受け継いだとされているが、彼らは、このような道徳観も忘れずに受け継ぐことが出来たのだろうか。