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2025年11月28日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 11月28日 3分間の別れ

昨晩東條ーchの「死刑3分前の真実。東條 英機の最期!」というYouTube動画を偶然視聴させて頂いた。偶然というは動画のサムネにあった東條という文字が気になり視聴してみたのだが、やはり東条英機氏の曾孫さんだった。私がこの名前に強い関心を向けるのは、世間からいまでもA級戦犯という偏見が消えないからだ。

さてこの動画の内容はA級戦犯とされる7名の処刑前僅か3分間前、浄土真宗本願寺派の教戒師花山信勝氏が立ち会われた情景を氏の肉声により語られていた。

この動画によると、手錠をはめられたままの彼らは何を訴えるでもなく、ただ天皇陛下万歳と大日本帝国万歳を三唱したのだという。この動画をみて私が思うのは、彼らはこのような不条理な境遇を彼らは何を心の支えとして戦ってきたのかと言う思いだった。

そして別れ際に彼らが残した言葉は看守への労いであったという。この落ち着いた様子に感じ入った米兵の彼らは、自ら進んで目の前の彼らに握手を求めたそうだ。このような様子を見れば、確かに戦争は人間の殺し合いには違いないが、国家のために命を捧げた者同士、譬え敵味方の立場にあっても、最後は心が通じ合えたのかもしれない。

今でも外交儀礼として相手国を訪れる際は、まず最初にこのような相手国の英霊に対し哀悼の意を表明することが常識となっている。つまり嘗て敵の慰霊碑だからといって放尿しても唾を吐いても構わないというのは国際的な常識をわきまえない行為になる。最近でも、生きている国家の要人に対してさえ、ズボンに手を突っ込んだまま敬意を払えない国があったことは嘆かわしいかぎりだ。とはいえこのようなギャングまがいの行為を受けても黙っていろという暴力追従型国会議員やマスコミ報道があることも国家存立の危機を感じる。

何を言いたいのかといえば、戦争行為というものは残虐で悲惨なものではあるが、このような国家間の対立と個人の怨恨とは分けて考えなければ、人類はこのような恨みを乗り越えることが出来ないのではないだろうか。因みに靖国参拝といえばすぐA級戦犯合祀の問題が取り上げられるが、実際にA級戦犯の彼らがどんなことで裁かれたのかを知っている人は意外と少ない。例えばA級戦犯には軍人ばかりでなく広田 弘毅という内閣総理大臣まで含まれている。氏は総理就任まで外交官として活躍されていたが、残念なことに総理就任時期と日華事変が重なるという巡りあわせになる。また、南京事件の首謀者とされる松井岩根大将は、陸軍が上海に上陸した時点でマラリアにより体調を崩し、戦線に復帰した頃にはすでに南京は陥落していたのだそうだ。つまり、悪逆非道の罪人のように刷り込まれているA級戦犯の彼らも部下の引責により処刑の対象にされてしまったのである。

さらに言えば、このような裁判が行われる前は戦争による損害賠償は存在していたものの、個人的恨みを80年経っても忘れないという狂った外交は存在していなかった。というのも人類の歴史を辿れば戦争の歴史と言われるくらいでこれに向けられる個人的な怨恨は断ち切ることはできないのである。つまり、個人の恨みまで国家間の外交に引きずってしまうと条約の締結など意味がなくなってしまうのである。逆にこのような怨恨をいつまでも引きずる国家は国際社会の中で、共通の価値観を共有できる成熟した国家として認められるだろうか。

話をこの動画に戻すと東條英利氏は、先の大戦において様々な立場にあった3世に呼び掛け和解のプロジェクトを進めているのだという。結局歴史を振り返り、悔い改めることは人間の叡智に違いないが、失敗にいつまでも拘り未来に向かって歩みを進められないのは、愚かというしかない。