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2025年12月3日gallery,ようこそ,日々のブログ

2025年 12月2日 歴史の何故

歴史の何故といえば、日本においては初めから結果が分かりそうな無謀な太平洋戦争に何故臨んだのか、このことについてこれまでも様々なIFが検証されてきた。そのような思いは官民合わせての謎であり、ひと頃の空想戦記物のブームもこのような流れの一部だろう。とはいえ無謀と断定するのはその結果を知っていればこその言葉である。ところが戦後の日本では戦争は軍人の暴走によるということが歴史の事実として教わってしまうのだ。とはいえ戦前の資料を辿れば国民も政治家も意外と日米開戦を危惧する人たちを見かけるし、その意見を反映させるための国会も正常に機能していたことが分かる。たしかに大政翼賛会などの一党独裁化を目指す動きは見られたものの、この運動すら合法的な民主主義の結果なのである。だとすれば民主主義の主体である国民がその判断を誤った原因こそこの謎を解く鍵にならないだろうか。つまり国民によって判断の基準となる情報が異なっていたことこそがその原因のように思える。

さて今日はここを深堀したいのではなく、最近のウクライナ情勢がここ数日変化していることについてだ。というのも先ほどjiji.comの記事に「ウクライナ東部要衝を制圧 米特使と会談前に発表 ロシア」という報道を見つけた。これによるとロシア大統領府は1日、侵攻するウクライナ東部ドネツク州の要衝ポクロウシクを制圧したと発表した とある。つまりウクライナ軍が劣勢だという記事なのだが、なぜこれまでウクライナ軍劣勢の記事を、私はほとんど見かけることがなかったのかという疑問を持ってしまう。要するにこのような記事が度々でも国民の目に留まっていれば日本政府もウクライナ支援には慎重にならざるを得なかったのではないかと想像してしまう。というのも2022年2月の侵攻時からjiji.comのウクライナ戦況図を覗いていたが、現在の戦況とほとんど変わっていないからだ。

いや詳細な戦況は報告されていたもののあまりにも限定的で、実際どちらが優勢な状態なのか素人には判断がつかない状態だった。このため西側陣営のほとんどの国民は戦地にレオパルド戦車を後何両送れば、或いはF16が実戦配備されれば戦況は一気に傾くに違いないと思いこまされてしまった。恐らく現在のウクライナ情勢を見れば、西側から戦線に送られた大量の兵器はすでに破壊されてしまったか、どこかの国に転売されたかのいずれかの状態なのだろう。とはいえすでに失われてしまった国民の命は二度と戻らないのである。

ところがこのような戦線の膠着を日本のマスコミはロシア軍が脆弱なためだと言って、国民に戦争勝利の幻想を抱かせ、戦争継続を煽っていた。冷静に考えればこの戦争は、国力や戦力差、兵士の士気などを見ても初めから勝つ見込みのない戦争を西側の無謀な支援によって無理やり引き延ばされてきたように感じる。これにより両国で何度も話し合われた和平交渉が決裂し、そのせいで戦争の傷が深くなりウクライナにとっても講和の条件はどんどん厳しさを増している。つまり日本が善意のつもりで行ったウクライナ支援がウクライナの領土を狭め、彼らの命を奪っていったように感じてならない。

これに対し、だからウクライナは核兵器を保有すべきだったという方も居られるようだが、これほどの戦力差や領土に違いがあれば、核兵器の保有は逆に、ウクライナ国民の全てを地球上から消滅させてしまう可能性が出て来る。言ってみれば核兵器保有はウクライナ国民の未来まで奪い去って仕舞いかねないのである。

さて民主主義国家において何故無謀な戦争がこれほど繰り返されるのかを考えると、勝てる見込みがない戦争をまるで勝利が有り得るかのように勘違いさせられた場合である。この状態になれば国民は常識的な判断を失い暴挙に至ってしまうのではないだろうか。だとしたら正確な報道が正しく伝わらない環境こそ国民は警戒するべきである。つまりマスコミが公平性を欠いた報道を行えば国民は、これにより取り返しのつかない暴挙に至ってしまうのだ。困ったことに世界の歴史を見れば、このような危険は国内から始まるのが常で、これに関わるスパイの危険性についてはもっと敏感になるべきだろ。