盾つく虫も好き好き
2025年 12月20日 賽の河原


日本では子供が両親より先に亡くなると、両親の悲しみを思いあの世へ旅だてなくなると信じられている。そんな子供たちはあの世とこの世を隔てる賽の河原で石を積みあげ親の悲しみを癒そうとしているのだという。ところがそんな石が積みあがろうとする寸前に鬼が襲ってきて積んだ石をことごとく崩してしまうのだという。子を亡くしてしまった親の思いと、早くして亡くなる宿命を負った子供の無念は永遠に尽きることがないのである。
なので、賽の河原といえば精魂込めて創り上げられたものが、ようやく日の目を見ようという瞬間に無残にも打ち砕かれる様子を示す。
ところで昨日は日銀の政策金利の利上げと、核保有を認めるべきだという政府高官の暴言のニュースが矢継ぎ早に飛び込んできた。とはいえ見方を変えればこの出来事は、ずいぶんタイミングのいいニュースだったように思える。というのも前日臨時国会が終わったばかりで、これにより18兆円にも上る補正予算が決定されたばかりだ。その内容といえば、国民の税負担の軽減と給食等の無償化、無駄な歳出の見直しや新たな経済成長に向けた取り組みなどが恐ろしいスピードで決定されていった。しかも国家存立に関わる事態を目前にしながらの対応なので、この動きをこれまでの政府と比べるとシエスタと仕事中くらいの違いを感じてしまったのである。
この様な新政府の誠実な対応に対し、昨日の日銀の利上げは、頭から冷や水を浴びせるくらいのインパクトだった。というのも政策金利といえば無担保で銀行同士が融通し合う金利で、これが全ての金利に影響してしまう。当然これが上がれば長期金利も上がってしまうことになる。そればかりか日本企業の全てが資金の調達コストが上り、これは原材料の価格が上がるのと同じ効果に成ってしまう。何を言いたいかといえば、政府が減税により景気のアクセルを踏んでいるのに、日銀がそれにブレーキをかけその効果を減衰させてしまった事に成る。確かに先日来日銀総裁と総理大臣の会談があったと報道されていたが、これによる影響がどの程度見込まれるのか正しいレクチャーがあったのだろうか。というのもこのことは、積極財政を推進しようとする政府に、本予算審議において公債費の増大という形で顕在化してくるはずだ。そうなれば、プライマリーバランスを重視する与野党からの追求は避けられないだろう。
そしてさらに厄介な政府高官によるという核保有肯定論だ。これは核保有を望む保守層に対しての踏み絵になるからだ。さっそくこの発言については野党の議員から非難の声が上がっている。そればかりかすでに周辺国にも何やら影響が出ているようだ。この流れを見ていると何だか会期中の台湾有事こじつけ騒ぎと似たような構図が見えて来るので恐ろしい。というのもオフレコ発言により、前々政権の秘書官が更迭処分にあったことを思い出すからだ。この時は性的マイノリティに対する自分の正直な思い語ってしまった事案のようだったので、むしろオフレコのルールを顧みない報道に憤りを感じていた。ところが、今回はこのような危険性を十分承知の上の発言と思われるので、この行為は政府への背信行為のように思えてならない。しかも核兵器の保有については日本国民に対する核攻撃の危険性を増長させるものなので看過するべきではない。
それにしても、核保有というのはコストの面でも、倫理的にも全く非道な兵器で毒ガスや生物兵器に等しい。呆れてしまうのは、このような核保有推進派のロジックとして日本は唯一の被爆国なので日本こそ核兵器の保有が認められるべきと訴える人がいる。目には目をと言う事なのかもしれないが、だとすれば日本は核兵器をアメリカに使う権利を持っているとでも言いたいのだろうか、そのような人達に限って日米安保は必須などと訴えているようだが、アメリカが置かれている立場は80年前とは変わっているのである。現在アメリカ政府が日本に期待しているのは対等な形で同盟関係を維持しようと言う事で、このことにより日本の独立を暗に促している。つまり日本は改憲により国軍を備えることにより、核不拡散推進のリーダーとして太平洋の平和と安全に貢献して欲しいと訴えているのだ。
さて現在の政府が日本の発展のため国民が豊かになり、安全な暮らしが出来るよう四方八方手を尽くし馬車馬のように努力されてきた。ところが昨日流れてきたニュースのいずれもがその努力を踏みにじるものだった。簡単に言えば日本の国民を貧困にしてプライドを踏みにじる、さらに命の安全すら脅かそうという人達だ。まるで賽の河原の鬼のようだが、そんな人達がいまも日本の中枢にいると言うだろう。